×

社説・コラム

寄稿 高畑勲さんと「原爆の図」 岡村幸宣

画中の「真実」見極める情熱

64年ぶり対面 最期まで思索

 4月5日に亡くなられたアニメーション映画監督の高畑勲さん。過日、三鷹の森ジブリ美術館(東京都三鷹市)で行われた「お別れの会」で、二階堂和美さんの歌う「いのちの記憶」を聴いた。遺作となった「かぐや姫の物語」の主題歌。高畑さんとの別れにこれほどふさわしい曲はない、と思った途端、涙がこぼれた。

 高畑さんに手紙を書いたのは、昨夏だった。映画「火垂(ほた)るの墓」を作られ、古今の芸術表現にも精通する高畑さんに、丸木位里・俊の連作「原爆の図」について語ってほしいと考えたのだ。

 最初は返事が来なかった。あきらめきれず2度目の手紙を書いた。すると、がんのため入院し、手術は成功したが、「原爆の図」に後ろめたい感情を持っているので、うろたえて返事ができなかった、とメールをいただいた。

 高畑さんは高校生の時、岡山の天満屋へ巡回した「原爆の図」に出会っていた。占領軍の言論統制で、原爆について何も知らされなかった青年にとって、見ずにはいられない展覧会だった。しかし、衝撃のあまり広島で一体何が起きたのか理解できず、理解できないことがさらに恐怖を呼び起こし、以来、「原爆の図」を避けてきたという。それでも、この機に勇を鼓して対面し、あらためて考えてみたい、と記されていた。

 高畑さんは昨年9月、ふらりと原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)に来館された。64年ぶりに絵と再会し、「当時、私は原爆被害の実相を知りたかった。しかし、今思うと『原爆の図』は、その実相を描いていないように思います」と語った。細部まで丁寧に目を向け、幾度か「うまい」とつぶやき、しかし、「これは現実を描いているとは思えない」とも言われた。「被爆市民の描いた絵の方が、現実を伝えているのではないですか」

 翌10月、高畑さんと詩人アーサー・ビナードさんの対談を、さいたま市で企画した。直前に、高畑さんから出演辞退の連絡が入った。体調の不安もあったのだが、「このテーマを語るには時間が短すぎる」との理由に、本気で絵と向き合おうとしていると感じて、懸命に説得した。開場2時間前、ようやく出演の意思を伝える連絡が入った。

 高畑さんは、ゴヤや藤田嗣治ら戦争の絵の歴史を紹介し、「原爆の図」を読み解く一つの手掛かりを示された。「この絵は、西洋の節度を学んだ画家が、客観的な視点で美を追求している。感情に流されるような見え透いたシーンを抑制して、張りつめた一つの塊として、観(み)る側に訴えようとしたのだと思います」。現実を伝えることと、芸術表現は違う。「ふたりは本当の絵を描きたかったのです」

 司会を務めた私は、その真意をもっと聞きたかった。「本当の絵」は、被爆体験の物語と異なる回路から、どのような真実に迫るのか。しかし対談は、終了予定時間を大幅に過ぎていた。帰りの車中、高畑さんはいつになく高揚し、語り続けていたそうだ。

 後日、「言うべきことが言えていない。しかしそれはこちらのせいだ。考えは深めたい」と短いメールが届いた。「いつかまた、『原爆の図』について語ってくださることを願っています」と返したのが、最後になってしまった。

 表現で原爆に迫ることの意味は、「原爆の図」に限らず、十分に整理・検討され尽くしたとは言い難い。深く本質を見極めようとした高畑さんの姿勢を追いながら、考え続けたい。(原爆の図丸木美術館学芸員)

(2018年6月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ