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社説・コラム

『記者縦横』 原爆の子の像 祈り新た

■ヒロシマ平和メディアセンター 増田咲子

 原爆の子の像に寄せられた折り鶴の数が5月末、広島市が記録を取り始めた2002年度からの累計で2億羽を超えた。1958年5月5日の像の除幕後、いつから折り鶴がささげられるようになったのか。本紙記事によると、その年の10月には既に県内外から届いていたことが分かる。

 河本一郎さんに思いをはせた。白血病と診断され、「生きたい」と願って鶴を折り続けた佐々木禎子さんの級友に像建立を提案し、01年に72歳で亡くなるまで像を守り続けた。禎子さんと折り鶴の実話を海外で初めて伝えたジャーナリストのロベルト・ユンク氏に、禎子さんのことを話したのも河本さんだった。

 私が通っていた高校の校務員だった。その縁もあって、河本さんが世話人を務めた広島折鶴の会に参加するようになった。当時、8月6日には禎子さんの遺影とともに平和記念式典に参列し、原爆の子の像で祈りをささげた。

 きのう7日は河本さんの命日だった。亡くなる前年にもらった手紙を読み返した。折り鶴について「広島に寄せる山のような祈り」と書いてあった。建立から60年を迎えた像を巡る取材で、鶴の形となって世界中から集まる平和の祈りに、あらためて触れた。

 罪のない子どもの命を奪う核兵器。昨年禁止条約が制定されたが、廃絶に向けた道のりはまだ遠い。「平和のために自分にできることをしたい」と誓った高校時代の原点を思い返し、記事を書き続けたい。

(2018年6月8日朝刊掲載)

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