×

連載・特集

[つなぐ] お好み焼き店経営 フェルナンド・ロペズさん

反戦の思い 祖国が教訓

 JR横川駅(広島市西区)の近くで、18年前からお好み焼き店を営む。調理場に立つと鉄板越しに見える壁には、大きな世界地図を張っている。出身地の中米グアテマラの場所を問われるたびに、地図を示しながら故郷のことを紹介するためだ。

 今月3日に起きたフエゴ火山の噴火で多くの犠牲者が出たグアテマラ。米国と旧ソ連の対立を背景に、1960年から96年まで激しいゲリラ戦が繰り広げられた。「『共産主義者』や『ゲリラ』と決め付けられた先住民のマヤ民族が次々に虐殺された」とロペズさん。30年以上続いた内戦の犠牲者は推定20万人ともいわれる。

 63年に首都グアテマラ市で生まれたロペズさんは、戦時下で育った。特に中学生だった70年代の記憶は生々しい。街の至る所で秘密警察が監視の目を光らせ、学校の中にも「スパイ」が送り込まれていたという。反政府的な言動が見つかり、姿を消した同級生もいた。「毎週のように校門にばらばらの遺体が捨てられていた」。殺されたのは12、13歳の少年たちだった。

 自分自身も秘密警察に追いかけられ、身の危険を感じたことがある。「このままだと必ず殺される。25歳まで生きられない」。不安を抱き、高校卒業後しばらくして渡米。伯父を頼り、米南部ニューオーリンズ市に移り住んだ。

 イタリア料理店やフランス料理店で働く中で、食材の切り方や肉の焼き方など、料理の基礎をたたき込まれた。次第に料理人の道を志すようになり、短期の予定でハワイの高級ホテルで働いていたころ、広島出身の万喜子さんと出会う。結婚して95年に、広島へ移り住んだ。

 妻の実家が経営していた旅館が廃業したこともあり、2000年春に現在の店を開いた。以来、丁寧に焼くお好み焼きや、青唐辛子のトッピングなどが評判を呼び、人気店に育つ。最近は外国人の来店が急増。店内の17席を欧米人やアジアからの観光客で占める日もあるという。「鉄板を囲みながら地元の人と話し、誰でも気楽に広島の暮らしに入っていけるのがお好み焼きの魅力」。観光客の多くは平和記念公園を訪れた後に来店するため、話題が原爆や戦争に及ぶことも少なくない。

 妻の両親は共に被爆者。毎週通うキリスト教会にも、被爆した友がいる。建物疎開作業中にたくさんの子どもたちが犠牲になったこと、川いっぱいに遺体が浮かんでいたこと…。数々の被爆体験に接し「ヒロシマは憎しみを消したから平和になった」と思う一方、「なぜ戦争が起こったのか。その背景にも目を向けるべきだ」と感じている。

 約10年前から、お好み焼きを作る間に折り鶴を作ってもらう活動にも加わった。子どもたちが折った色とりどりの折り鶴を見て「記念に」と持ち帰る外国人も多い。かつて暴走した祖国を教訓に「戦争になってからでは遅い。広島に来た人が、自分の国が正しい方向に進んでいるのかを裁ける人になってほしい」と願う。(桑島美帆)

(2018年6月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ