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遺品 無言の証人

子ども用ワンピース

語らぬ記憶 死後に寄贈

  このワンピースを着て少女は猛火から逃げた=2015年、橋本弘幸さんが原爆資料館に寄贈(撮影・高橋洋史)

 自分が死んだら原爆資料館へ―。あの日着ていた小さなワンピースが長年、胸にしまい込まれた被爆体験を静かに語り継ぐ。

 竹屋国民学校(現竹屋小、広島市中区)に通っていた橋本(旧姓八百野)清子さんは原爆投下当時、11歳。8月6日朝は2階の教室にいた。爆心地から約1・3キロ。ガラスの破片が顔や首に刺さったまま火の手が上がった校舎から逃れ、京橋川へ飛び込んだ。

 無数の死体が浮く川の中で必死に耐え、「この子は生きている」と救助された時は夕方。船で金輪島(現南区)に運ばれ、さらに現在の坂町小屋浦に収容された。郊外に疎開して無事だった家族の元へ戻れたのは終戦後で、既に自分の葬儀が終わっていたという。

 脱毛や下痢。急性症状に苦しみながら命をつなぎ留めた。2015年7月に80歳で亡くなるまで、ぼろぼろに裂けたワンピースを大切にしまっていたが、詳しく記憶を語ることはなかったという。原爆資料館に自分で持っていけば、どうしても被爆状況を話さなければならない。それがつらいから、と資料館には死後に託すよう希望していた。橋本さんが旅立って2カ月余り後、遺族が願いを形にした。(金崎由美)

(2018年6月18日朝刊掲載)

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