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ひろしま国 8・6探検隊 原爆の犠牲者数なぜあいまいなの <下>

見つからない特定方法

 前回、原爆死没者(しぼつしゃ)数について、なぜ、はっきりした数が分からないのだろうと、いろいろな数字を紹介(しょうかい)したね。

 「宿題」だった、市の推計(すいけい)「約十四万人(誤差(ごさ)プラスマイナス一万人)」の根拠(こんきょ)について、市国際平和推進部平和推進担当の手島信行(てしまのぶゆき)課長から回答があった。結局、どういう数が重(かさ)なったのかは市の資料では分からないらしい。「専門家による委員会に資料作成を任(まか)せた」からだという。

 ただヒントはくれた。

■新聞寄稿で説明

 一九七六年十二月十日、十三日付の中国新聞だ。市の発表から約二カ月後、推計に携わった故湯崎稔(ゆざきみのる)広島大教授(当時同大原爆放射能医学研究所(げんばくほうしゃのういがくけんきゅうしょ)助教授)が二回にわたり寄稿(きこう)している。

 四四年二月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約三カ月がたった四五年十一月の広島市と周辺町村(しゅうへんちょうそん)の人口を比較(ひかく)し、軍の被害報告資料や県外からの来広者(らいこうしゃ)、朝鮮人被爆死亡者などを考慮(こうりょ)した、と一定(いってい)の根拠(こんきょ)を説明している。被爆三十年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置(ほうち)されてきたと指摘(してき)する。

 でもなぜ誤差が二万人も出るのだろう。市民は戸籍(こせき)と照合(しょうごう)し、軍人は遺族(いぞく)に対する給付金(きゅうふきん)の申請などの数を基(もと)に差を小さくすることはできないのか―。

■抹消された戸籍

 「広島原爆戦災(せんさい)誌」第三巻を読むと、戸籍簿は疎開(そかい)させ、焼失(しょうしつ)を免(まぬが)れたとある。誤差があるのは、原爆で文書が焼けたり、戦後の混乱(こんらん)で書類が無くなったという理由ではなかった。なら、戸籍とその人が原爆で亡くなったかを一人ずつ当たっていけば、実際の犠牲者数に近づけるよね。

 ところが、市などはそれをしていない。それどころか、家族全員が原爆で死亡し、死亡届を出されることがなかった人も含まれるとみられる戸籍を抹消(まっしょう)し、その数を記録していない。市内で最近抹消されたのは二〇〇三年度の百六十六人。以前の数字について、企画総務局総務課の大東和政仁(おおとうわまさひと)課長は「抹消した戸籍数が合計で、数百か数万か分からない」という。

 軍人や軍属(ぐんぞく)の死没者については、個人の軍歴(ぐんれき)の書かれた兵籍簿(へいせきぼ)や公務中に死没した軍人・軍属を記録した戦没者名簿があるものの、個人情報保護のため、見られる人は限定されている。また、それを見ても被爆者かどうかは分からないと広島県はいう。

 うーん、壁(かべ)は高い。

 「約十四万人」の調査の一部を担当した宇吹暁(うぶきさとる)広島女学院大教授は「調査方法には、さまざまな議論(ぎろん)があったが、いまだにいい方法が見つかっていないのが現実」と残念そうだ。

 市の公式見解はあくまで「約十四万人(誤差プラスマイナス一万人)」。前回出てきた、四五年十二月末までに亡くなった人のうち名前が分かっている約八万九千人との差が四万人以上あることについては「十四万人に近づくよう、一人一人数を積(つ)み上げていきたい」と繰り返すだけだ。(森岡恭子)

 読者の質問などをもとに中国新聞の記者が探検報告をします

(2007年3月13日朝刊掲載)

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