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中沢啓治さん死去 ゲンの思い 受け継ぐ 広島「不屈の人」悼む声

 「残念」「もっと語ってほしかった」―。漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの訃報が届いた25日、被爆地広島に衝撃が広がった。漫画や平和学習を通して、家族を奪った原爆や戦争のむごたらしさを訴え続けた不屈の人。親交のあった人たちは、思い半ばの死を惜しんだ。

 9月、交流会に招いた広島市安芸区の矢野南小。11月には児童と麦を植えてもらう約束だったが、体調不良で中止になった。「麦のように子どもたちが強く生きていくよう遺志を受け継ぎたい」と仏円弘修校長(57)。「今年の誕生日会で『80まで生きたい』と話していたのに…」。家族ぐるみの付き合いだった産婦人科医師河野美代子さん(65)=中区=は早すぎる死を悼む。

 来年は、「ゲン」の連載開始40周年。原画など1万点以上を寄贈された原爆資料館(中区)は、企画展を予定していた。前田耕一郎館長(64)は「テープカットをお願いしたら、『行きますよ』と応じてくださった」と明かした。訃報を受け、臨時の企画展を年明けにも開くという。「世代を超え、国を超え、原爆の悲惨さを伝えてきた。影響力の大きな人だった」と強調した。

 中沢さんのドキュメンタリー映画制作に携わった渡部久仁子さん(32)=安佐南区=ら有志も40周年の記念行事を準備中。渡部さんは「『これからは若い世代の出番だ』が口癖だった。その思いに応えたい」と力を込めた。

 日本被団協の坪井直代表委員(87)=西区=は「作品に込めた核兵器廃絶への思いを、彼に代わって世界に訴えたい」。広島市の松井一実市長は「原爆はあってはならないとの強い思いをベースに、被爆の実相を伝えてこられた。本当に残念だ」と取材に答えた。

 妻のミサヨさん(70)は「肺炎を繰り返すうちに体力も限界に来ていた。最期は優しい顔で、眠るように亡くなった。広島にいる仲間が支えてくれて『俺は幸せだ』『やりたいことは全部やった』と言っていた」と話していた。(二井理江、田中美千子、増田咲子)

(2012年12月26日朝刊掲載)

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