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社説・コラム

『潮流』 書けなかった戦争

■論説委員 森田裕美

 祖父のシベリア抑留体験について1月下旬に「論」を書いて以来、戦中戦後の体験をつづった手記や手紙が職場へ届くようになった。戦争がもたらした悲惨は、被爆やシベリア抑留にとどまらない。当時を生きた人の数だけつらい記憶があるのだと目を通しながら痛感している。

 その中に、広島県の男女共同参画をすすめる会が2015年に発行した手記集「昭和20年(1945年)の私」がある。冒頭の一編は、広島市中区の田中祝(いわい)さん(94)が初めて書いた中国からの引き揚げ体験だ。天津での「優雅な」暮らしは敗戦で一変。身重の体で住まいの洋館を追われ、略奪にも遭う。身一つで逃れて難産し、新生児を抱えて命からがら帰国した記憶をごく短く記す。

 もっと詳しく知りたくて田中さんを訪ねた。「女は外に出るな」と言われた当時の恐怖感や、生きるためわが子を置き去りにせざるを得なかった人がいたことなども話してくれた。それでも「書けないこと、話せないこともたくさん」と涙ぐんだ。

 過酷な体験を言葉にする作業には覚悟や時間が要るに違いない。作家澤地久枝さんも2015年になって旧満州(中国東北部)からの引き揚げ体験を著書にまとめた。「誰だって、語りたくない人生体験を持っている」としながらも「戦争の歴史がくり返されることはたえられないから」と記す。自らの体験記の主語を「少女」としたのは、突き放さなければ書けなかったからだろう。

 戦後73年の夏が来た。悲劇を繰り返さぬ教訓にと歳月を経て体験を記す多くの営みと出合う。でも本当につらかったこと、恐ろしかったことは、そこには書かれないのかもしれない。「書けることは精いっぱい書いた。後は酌んでいただきたい」。田中さんの言葉が忘れられない。ここから先は、受け手がその奥や行間を読む「想像力」にかかっている。

(2018年7月21日朝刊掲載)

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