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46年夏のヒロシマ 米軍の撮影動画が存在 袋町小で来月上映

 原爆を投下した米軍が翌1946年7月、復興へと歩みだす広島市街を撮った動画があった。路面電車に鈴なりの市民や、バラック建設などが鮮明に収められ、米国立公文書館が所蔵している。袋町小(中区)は、学校再開間もない様子が記録され、2月に迎える創立140周年の記念式典で上映する。(編集委員・西本雅実)

 米国防総省と陸軍省製作で約7分のモノクロ映像。音声は付いていない。

 広島デルタの空撮と原爆ドームから始まり、被爆した路面電車の車外にも乗客がはみ出す混雑ぶり、英語で「ヒロシマ・バザール(市場)」の看板も見える広島駅前一帯、焼け残ったビルとバラックが建ち始めた八丁堀や大手町地区が写る。

 続いて、窓枠も曲がったままの鉄筋3階の袋町国民学校の教室となり、黒板に書かれた「七月十九日(金)」の文字から撮影日が分かる。げた履きやはだしの子どもたちが授業を受けたり、廊下を走ったりする姿や、一部が畑になっていた校庭が記録されている。

 集団疎開を経て46年、同校に戻った竹内英夫さん(77)=中区=は「窓にガラスはなく、冬は廃材をストーブにくべて暖をとった。ぬかを固めた団子が弁当でした」と振り返る。

 また、元児童らの証言などから、校庭であいさつをしている男性は、爆心地から東460メートルの同校で被爆した教職員でただ一人生き残り、学校再開に尽力した坪田省三教頭と分かった。

 「学校沿革誌」によると46年5月、全校児童40人で再開し、県医療団や市保健所も入居していた。校舎修理は47年2月から始まり、同4月には児童数は349人と増え、市立五中(現幟町中)に教室を貸与するなどした。

 袋町小の清美嘉文校長は「子どもたちの笑顔も伝える貴重な記録」と、映像を記念式典で上映するとともに、被爆校舎を使った袋町小平和資料館で活用していく考えだ。

(2013年1月4日朝刊掲載)

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