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故大平数子さん直筆原稿 「慟哭」作者 童話「ききがき ひろしま」や詩

広島 長男宅で発見 がん押しつづる

 原爆詩を代表する「慟哭(どうこく)」の作者、大平数子さん(1923~86年)の直筆原稿が、同居した広島市西区の長男泰さん(75)宅で見つかった。「ききがき ひろしま」と題した童話6編や、詩7編(400字詰め計73枚)があった。被爆40年前後の晩年に膵臓(すいぞう)がんを押してつづっていた。

 大平さんは45年8月6日、出産のため長男を連れ帰っていた己斐町(現西区)の実家で被爆。榎町(現中区)で雑貨商を営む夫昇さん=当時(29)=を1カ月後に、胎内被爆した次男昇二さん=同(1)=を翌年11月に失う。自身は結核で長期入院を強いられ、泰さんとも別れて暮らす歳月が続いた。

 粉薬の紙に書きためた「慟哭」は、「しょうじ よう やすし よう…」の最終章が、市中央公民館が55年に発行した「広島の詩」に掲載され、「逝ったひとはかえってこれないから…」に始まる全14章を81年に刊行した詩集「少年のひろしま」で公表した。

 英訳もされた長編原爆詩は、米ソが核軍拡競争を続けた86年、日本原水爆被害者団体協議会などが東京で開いた集会で、俳優の吉永小百合さんが朗読。これを機に、CDや教科書へ収録されて知られるようになる。

 「ききがき ひろしま」は、自身の体験や、退院後に勤めた市内の児童館で見聞きした話を基にしている。夫の遺体を運んだ己斐国民学校では、「隣で焼いていいですか」と尋ねてきた父を失った少年と、壊れた校舎の木ぎれを拾って一緒に焼く。再会した少年は母も弔っていた。表紙には「おおきっなまちの こーまい はなし すみっこの はなし」と副題を記していた。

 原文を推敲(すいこう)して複写していた原稿60枚も残り、公表を考えていたとみられる。

 泰さんは母の三十三回忌を迎える中で直筆原稿を見つけた。十七回忌を済ませた2002年には、「慟哭」などの創作ノートを原爆資料館に寄贈。今回の原稿も資料館に託す考えだ。(西本雅実)

(2018年8月1日朝刊掲載)

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