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豪雨禍の原爆碑 復旧支援 広島県坂の小屋浦地区 

 西日本豪雨で甚大な被害が出た広島県坂町小屋浦地区で、地域の原爆慰霊碑が土砂に埋まった。31年前、無償で建立工事を請け負った同県海田町の造園業田川房雄さん(77)が1日、現地に駆け付け、復旧支援を申し出た。「碑を守り続けてきた地元の被爆者や住民の思いに応えたい」。再度の支援に地元から感謝の声が上がった。(明知隼二)

 慰霊碑は高さ約1・4メートルで、高さ約1メートルの自然石の台座に据えられている。背後の山の斜面が大きく崩れたため台座後部が土砂で埋まり、周辺の石灯籠などは倒れて破損した。

 碑の側面には93人の名が刻まれ、原爆の日前後には今も遺族が訪れる。地元の被爆者や住民は毎年7月末に清掃し、折り鶴を手向けるなどしてきた。しかし、今夏は断念した。

 被災当初、碑全体を倒木が覆っていたが、目の前を通るJR呉線の復旧工事の過程で1日までに取り除かれた。田川さんは、碑の背後から押し寄せた土砂の様子を確認し、「うちの重機を入れて撤去する。地元の人と相談し、早めに動きたい」と話した。

 原爆投下後、小屋浦の国民学校や陸軍の救護所には、広島市内で被爆した人たちが次々と運び込まれた。手の施しようがなく亡くなった人も多い。1971年発行の市の広島原爆戦災誌によると、碑一帯には約150人が埋葬された。

 地元住民は戦後、木碑を建てて弔ったが、石碑の建立計画が浮上。田川さんは当時の中国新聞で住民の熱意や資金面の行き詰まりを知り、建立に協力。87年に完成させた。その後、地元から渡された謝礼金も全て市に寄付した。

 「原爆で亡くなった人が眠る特別な場所。何とか元の姿に戻したい」と田川さん。田川さんの申し出に、碑の管理をしてきた被爆者の一人、西谷敏樹さん(72)は「私たちでは手の打ちようがなく、悔しい思いをしていた。本当にありがたい」と感謝した。

(2018年8月2日朝刊掲載)

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