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山本五十六長官 大敗に沈痛 側近水兵・佐伯さん(広島)ミッドウェー語る

 旧海軍連合艦隊の山本五十六司令長官=顔写真=が亡くなってことしで70年。広島市安佐北区白木町の佐伯徳一さん(92)は、山本長官の側近水兵として戦艦大和に乗り込み、ミッドウェー海戦に出撃した。当時を振り返り、平和への思いを強くする。

 大和は1942年5月29日、岩国市沖の柱島泊地を出航。佐伯さんは、電話の取り次ぎや航海日誌の記入、長官室のカーテンの開閉など、山本長官のすぐそばでの任務に就いた。

 海戦前夜、新しい衣類に着替えるよう命令があった。「いよいよだと、戦死する覚悟を決めた」。攻撃が始まったがその後、味方の空母が全滅した、との知らせが入った。

 米国との戦いに強く反対したとされる山本長官。その時の様子について、佐伯さんは「肩を落とし、苦い顔をしていた」と振り返る。山本長官は兵隊を乗せた輸送船などの撤退を指示。佐伯さんはすぐに信号を送ったという。

 ミッドウェー海戦で日本は「赤城」など主力空母4隻を失うなど致命的な打撃を受けた。43年4月18日、山本長官は乗っていた飛行機が米軍に撃墜され死亡。佐伯さんはその翌年に大和を下船した。45年4月、大和は撃沈され、戦友のほとんどが亡くなった。

 戦後は古里の白木町に。男の同級生は半数になっていた。「負けた戦争だから」との思いもあり、戦争には口を閉ざしてきた。

 だが今、領土問題が顕在化し、その裏返しとして「強い日本」を求める動きも。外交面のきな臭さは増す。「傷つけ合い、多くの人が死んだ。ばかげたことをしていたと思う。戦争はいけんよ」。そう信じている。(鈴中直美)

(2013年1月18日朝刊掲載)

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