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父生きた証し 原爆資料館に 広島の土井さん、遺品寄贈

母の遺骨と47年間眠る

 原爆の日を前に、被爆者の土井芳子さん(76)=広島市南区=が、父橋川春吉さんの懐中時計など被爆した遺品3点と「遺言状」などを原爆資料館(中区)に寄贈した。1945年8月6日朝、36歳だった橋川さんは市中心部に出たまま帰らなかった。「生きた証しを後世に残したい」。土井さんの母ウメさんが47年前に亡くなった際、母の遺骨と一緒に墓に納めた遺品を取り出し、託した。

 遺品は懐中時計とバックル、たばこ入れ。たばこ入れには橋川さんの名刺が張り付いている。遺言状(44年8月24日付)は土井さんがウメさんから受け継ぎ、自宅で保管していた。戦時下、橋川さんが万一のために記したとみられる。

 あの日の朝、広島県貨物自動車宇品営業所長だった橋川さんは、宇品町(現南区)の自宅から立町(現中区)にあった本社へ所用のため向かった。本社は爆心地から約600㍍。ウメさんが3日後から捜しに出たが、帰ってきたのは本社ににあった遺品だけだった。土井さんは今も父の遺骨を手にしていない。

 戦後、ウメさんは、遺品と遺言状を仏壇で大切に保管していた。「お父ちゃんは帰ってくると思うよ」。土井さんを励ますようにこぼすこともあったが、8月6日には涙を見せた。

 原爆投下時、自宅にいたウメさんと、自宅周辺にいた土井さんも被爆した。ウメさんは土井さんを育て上げ、71年に62歳で亡くなった。ウメさんに宛てた遺言状には「全力ヲ盡シテ芳子ノ養育ニ万全ヲ期セ」とあった。

 土井さんは「大切にしていた母のそばに」と、父の遺品と母の遺骨を一緒に墓に納めた。近年、遺品の劣化を心配し、自宅近くの寺に遺骨を移すのに合わせ原爆資料館に寄贈した。

 時計はさびが目立つが、土井さんが墓に納めた際は針が「8時15分」を指していたという。資料館は来年以降の新着資料展で展示する予定。土井さんは「原爆が家族の幸せな時を奪ったと知ってもらうのに少しでも役立てば」と願う。(水川恭輔)

(2018年8月4日朝刊掲載)

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