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社説・コラム

社説 ヒロシマ73年 被爆国の役割 自覚しよう

 広大な宇宙の「点」でしかなく、危機にひんしても外からの助けはない。私たちの住む地球のことである。亡き米国の惑星探査の先駆者、カール・セーガン氏は「暗い青い点」と表現した。彼が警鐘を鳴らした核戦争による氷河期―「核の冬」を幻にするのは、私たち人類しかいない。

 「世界中の指導者の皆さん、私はあなたに懇願します。あなたがこの惑星を愛しているなら、条約に署名してください」。核兵器禁止条約が採択された昨年7月、カナダ在住の被爆者サーロー節子さんは国連で演説に立ち、こう続けた。「核兵器はこれまでずっと道徳に反するものでした。そして今では法律にも反するものです」

 国連加盟国の3分の2に当たる122カ国が賛同した条約は、核兵器を非合法化する初の国際法である。使用はもちろん開発や製造、保有など関連することを一切認めない。実際に無辜(むこ)の市民があまた住む広島・長崎を狙い、大量殺りくをもたらした兵器がやっと法的に禁止されたのだ。

北東アジアに変化

 サーローさんと行動を共にし、採択に貢献した非政府組織(NGO)核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)にはノーベル平和賞が授与された。昨年は世界の反核運動にとって、高かったハードルを越える飛躍の年になったのは間違いない。被爆地の新聞として後押ししていきたい。

 ことしはさらに、日本を含む北東アジアの情勢に大きな変化があった。4、5月の南北首脳会談と6月の米朝首脳会談を経て「朝鮮半島の非核化」に糸口が見いだされたことだ。朝鮮戦争の終結も視野に入る。きょう広島市の松井一実市長が読み上げる平和宣言にも、朝鮮半島の緊張緩和を平和裏に、という文言が盛り込まれる。

 北朝鮮は弾道ミサイルの発射を繰り返し、日韓のみならず米国本土を核攻撃の射程に収めようと画策していた。その脅威から一転して域内に緊張緩和がもたらされようとしている。むろん北朝鮮の非核化の検証は難題であり、日本としては拉致問題の解決も譲れないが、関係国の対話と圧力によって乗り越えていくべきだろう。

 長崎大核兵器廃絶センター(RECNA)は「北東アジア非核兵器地帯」構想を提案している。世界には既に七つの非核兵器地帯(条約)が存在し、南半球全域を覆う。北東アジアにも実現すれば、この地域に関与する米国、ロシア、中国という核保有国の手を縛ることにつながるだろう。日本もまた米国の「核の傘」を必要としなくなる。決して夢物語ではあるまい。

軍縮へ前向きに

 ことしは米国とロシアの首脳が面と向かい、核軍縮協議に前向きな姿勢を示したこともひとまず評価したい。「新冷戦」と呼ばれるまでに悪化していた両国の関係が改善に向かうなら、緊張緩和という点では意味がある。米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)は2021年に期限を迎えるが、延長交渉に入れず期限切れになれば、軍拡競争に歯止めがなくなる。

 とはいえ、今の米ロ首脳には核超大国として優位性を保とうという意識が、常に衣の下のよろいのごとく見え隠れする。彼らの核軍縮のサボタージュが、核兵器禁止条約の採択への流れになったことを知るべきである。核軍縮に対して、もっと真摯しに向き合ってもらわなければならない。

 問題は日本政府の側にもある。核兵器禁止条約の署名・批准を政府に求める意見書を可決した国内の市町村議会は300近くに上るにもかかわらず、政府には応じる気配がない。「唯一の被爆国」として国際社会で核兵器廃絶を唱えるなら、各国に先駆けて条約を批准すべきではないか。

 米国のトランプ政権は2月に、新たな核戦略指針「核体制の見直し(NPR)」を公表し、その中に「使える核兵器」すなわち小型核の開発を盛り込んだ。オバマ前政権が提唱した「核兵器なき世界」に逆行する政策であるにもかかわらず、河野太郎外相は「高く評価する」と述べた。被爆国の役割をどう考えるのか、問いたい。

 一方、日本では原発の使用済み燃料を再処理してプルトニウムを抽出し、再び発電に使う「核燃料サイクル」が破綻を来している。被爆国でありながら、核兵器の原料であるプルトニウムを国の内外に㌧もため込むという重大な矛盾を抱える。

 再処理をやめるしか選択肢はあるまい。日本が再処理から撤退しないことは、韓国など独自の再処理を志向する国々を刺激することにもつながるだろう。ひいては核を巡る北東アジアの緊張をいたずらに高め、北朝鮮の非核化を追求する国際社会の動きに水を差す結果にもなりかねない。

爆心遺構の公開へ

 本紙は7月23日付朝刊で、2ページにわたる特集記事「爆心地下に眠る街」を掲載した。原爆資料館本館下の発掘現場の全貌である。そこには炭化した木製しゃもじ、陶製の「厠下駄」、銭湯の浴室のタイルなどが約㌢の地下に埋もれていた。

 わずか戸から戸の調査エリアではあっても確かに人々の暮らしがあったのだ。いずれ平和記念公園の一角で遺構は公開されることになろう。米国ではかつてプルトニウムを風下にまき散らした核施設の跡が「野生動物保護区」などにすり替えられ、住民らに忘却を強いているが、ヒロシマにはそのような選択肢はあり得ない。

 「核兵器を持つのは恥ずかしいことだ」と一人の被爆者の女性は言った。私たちはその言葉を全世界に伝え続ける。

(2018年8月6日朝刊掲載)

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