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社説・コラム

『この人』 爆心地・旧中島本町住民の法要を営む「平和観音会」会長 浜井徳三さん

壊滅した古里語り継ぐ

 広島市中区の平和記念公園に立つ「平和之観音」像前で営まれる、「旧中島本町原爆犠牲者追悼法要」。ゆかりの人たちが爆心地一帯の廃虚でいち早く始め、担い手が代替わりしても受け継ぐ。像も維持する「中島平和観音会」の会長を今夏引き受け、73回目の法要を6日執りおこなう。

 「生まれ育った、親きょうだいが眠る中島本町は心のよりどころですよ」。80代とは思えぬ若々しい声で話す。本籍は「中島本町33番地の1」に今も置く。

 広島デルタの繁華街だった中島本町(現中区中島町)は1945年8月6日、爆心地の半径500メートル内に入り壊滅した。市の調査によると、45年末までの住民死没者は少なくとも627人を数える。

 原爆の前日、理髪館を営む父二郎さん=当時(46)=と母イトヨさん=同(35)=や姉で安田高女3年弘子さん=同(14)=は、宮内村(現廿日市市)の親戚宅に縁故疎開していた末っ子の浜井さんを訪ねてきた。それが「最後の別れ」。兄で修道中1年玉三さん=同(12)=も亡くなった。

 理髪業の叔父が養父となり、廿日市高を出ると腕を鍛えられた。所帯を構えた翌64年から妻や、幼い息子2人を伴い法要に参列する。「懐かしい顔にも会える」からだ。世話役は、徴用先や疎開先にいて助かった旧世帯主から学徒動員世代に移り代わる。この6月に86歳で逝った前会長の福島和男さんから昨夏、「次は頼む」と託されていた。

 「福島さんもそうだったが原爆のことは本当は口にしとうない。しかし、生かされとるうちは続けんといけん。法要は語り継ぐことでもあると思います」。廿日市市在住。(西本雅実)

(2018年8月6日朝刊掲載)

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