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社説・コラム

天風録 『8・6登校日』

 パツト剝(は)ギトツテシマツタ アトノセカイ。被爆作家の原民喜が「新地獄」とも言い表した73年前の広島に、多くの子どもたちが想像力を働かせたに違いない。広島市内の大半の小中学校できのう「8・6登校日」が復活した▲市民の強い要望もあり、先生の8・6勤務を妨げていた法令の解釈を変えて実現した。原爆が投下された午前8時15分、子どもたちは黙とうをささげ、平和について考える時間を持った▲広島にとって一瞬にしてあらゆる命が剝ぎ取られた特別な日である。「黙とうはどこでもできる。でも私は学校で友達や先生と一緒にすることに意味があると思う」。本紙ヤングスポットに昨年来寄せられた多くの声が意義を物語っていよう▲歳月を経て、家族にも地域にも被爆体験を語れる人は少なくなるばかり。最近は広島でさえ授業で初めて原爆について学ぶ子もいるそうだ。あの日の痛みを知り、考える―。学校が大切な場になっているのではないか▲民喜が被爆した住まいに近い幟町小では、全校児童が彼の詩による「永遠(とわ)のみどり」を歌った。<ヒロシマのデルタに/青葉したたれ>。8月6日の重みをしかと受け止めた歌声が頼もしく響いた。

(2018年8月7日朝刊掲載)

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