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世代超え つなぐ 8・6ドキュメント

子を亡くし、悲しむ母の涙を拭いたことを思い出す

海外に写真発信/参列怖かった

 0・00 原爆の犠牲者を悼み、平和への祈りをささげる人たちが、原爆慰霊碑前を行き交う。千葉県袖ケ浦市から訪れた陶芸家二階堂明弘さん(40)は「東日本大震災での被害をきっかけに、広島に来たいと思った」。

 0・45 広島市中区の派遣社員中岡忠司さん(40)は、原爆ドームそばで俳句や短歌をしたためる。手にしたノートには、2013年に亡くなる直前、被爆体験を語りだした祖母への誓いの句も。「祖母逝きて孫が伝える原爆忌」

 2・10 香川県三木町の造園業大柴崇太さん(38)は、原爆ドームや慰霊碑の写真を会員制交流サイト(SNS)で発信。海外に友人が多く、「言葉はなくても、写真と日付で伝わることがあるはず」。

 3・15 昨年、被爆者の父親を亡くした東区の自営業住田国雄さん(49)は、慰霊碑に向かって1分ほど手を合わせた。原爆のことは多くを語らなかった父。「今までになかった感情が湧いてきた。言葉にならない」と目を潤ませた。

 4・15 祖父母と父母、姉2人を原爆で亡くした西区の鈴藤実さん(87)が、原爆慰霊碑の前で手を合わせた。学徒動員先の廿日市市の兵器工場で直接の被爆を免れ、1人生き残った。「73年も長生きさせてもらい、申し訳ないという気持ち。子や孫に当時のことを話したいとは思うが、まだ全く話せていない」

 6・00 原爆の子の像に、広島なぎさ高1年桧木小春さん(15)=西区=たちが、折り鶴を貼った縦60センチ、横90センチほどのコルクボードを手向けた。約2700羽を使って、広島東洋カープにちなんだ赤の原爆ドームに、白の「ヒロシマ」の文字。両親と一緒に毎年作り、10年目になる。「高校卒業まで続けます」と桧木さん。

 7・20 気温が上がり、原爆資料館近くで冷水を振る舞う市職員が大忙し。被爆2世の主婦尾上真弓さん(66)=中区=は「20年以上参列しているが、ことしの暑さは異常」と喉を潤した。

 7・50 フランスのパリから長女(10)と訪れたシリル・デルプラットさん(44)は「この日にこの場所で起きたことを娘に学んでほしかった。多くの国がこの出来事に真剣に向き合っていると感じる」と平和記念式典の開式を待った。

 8・00 坂町小屋浦の西昭寺で河野法誓住職(38)が原爆犠牲者の法要を営む。寺は西日本豪雨で1階部分が土砂で埋まり、門徒約10人が命を落とした。「今日だけは平和に思いをはせてほしい」

 8・15 西日本豪雨で大きな被害が出た安芸区の矢野南小体育館では、矢野南連合町内会の浦野紀元会長(74)の呼び掛けで避難者たち約20人が黙とう。浦野会長は「こんな理不尽なことがあるんだという思いはどこか豪雨災害と重なる」。

 10・15 広島城北中高の写真部員が平和記念公園内を歩く。8・6風景の撮影は20年以上の部の伝統だ。1年里山海翔さん(16)は「平和記念式典で8時15分の黙とうの様子を撮った。一瞬一瞬を残したい」。

 10・30 パレスチナの高校教師リタ・ドッグマグさん(49)は、原爆ドーム横で、世界各国の国旗を振って平和を祈るイベントに参加。「初めて広島に来た。パレスチナでは今も戦争が続く。世界平和を心から祈っている」と涙ぐんだ。

 11・15 原爆慰霊碑への献花を済ませ、木陰のベンチで休んでいた東区の清見一士さん(96)。原爆投下時は徴兵されて東京にいた。終戦後すぐに帰郷し、広島駅から見た焼け野原に絶句したという。「知った人は皆死んだ。もう二度と起こってほしくない」

 12・30 原爆ドーム近くの動員学徒慰霊塔を、呉市の山田宏さん(74)が見上げる。原爆で姉と兄を亡くした。「7年ほど前に他界した母と毎年ここに来ていた。子を亡くし、悲しむ母の涙を拭いてあげたことを思い出す」。妻房子さん(75)が静かに寄り添っていた。

 13・20 原爆の子の像付近で、平和を願う音楽祭。沖縄県から踊り手として参加した信宗里恵さん(45)は尾道市出身。「平和記念式典にはずっと怖くて行けなかった。今日は平和への祈りを込めて踊る」

 14・10 広島県府中町の府中南小5年鈴木司君(10)は、夏休みの課題研究で平和について調べようと家族3人で初めて原爆ドームに来た。「原爆の恐ろしさが伝わってくる。平和の大切さを伝えたい」と写真を撮っていた。

 15・00 戦争の歴史を学ぼうと、ドイツから来たグウェンドリン・シェップマンさん(25)は、元安川沿いを歩きながらシャッターを切る。「あらゆる兵器が世界から廃絶されることを祈る」と原爆ドームにカメラを向けた。

 15・15 広島国際会議場で舟入高演劇部が原爆・平和をテーマにした舞台を上演。6歳の時に広島駅で被爆した原田浩さん(79)=安佐南区=は演劇を見て目を細めた。「われわれは被爆者最後の世代。若い人が思いをつないでくれている姿を見ると、心強い」

 16・35 母と初めてとうろう流しに参加する南区の遠藤寛昌さん(18)。原爆で親族を亡くし、毎年来ていた祖母が1カ月前に他界。「思いを受け継ぎたい」。元安川をじっと眺めていた。

 17・00 原爆ドームの対岸で、故中沢啓治さんが生前に残した未発表の詩にメロディーを付けた「広島 愛の川」を、市民約70人が、歌手の手嶌葵さん、堂珍嘉邦さんとともに合唱。実行委員長の流田聡一郎さん(35)=中区=は「被爆70年目から始めて今年で4回目。中沢さんの思いをつなぎたい」。

 18・00 元安橋東詰めのカフェ前に、市民が制作した影絵が幻想的に並んだ。広島に短期留学中の米ハワイのベイジー・ラムさん(17)も南国を連想させる作品を出品した。6月の米朝首脳会談を受け、「次は米ロのトップが核兵器廃絶に向けて話し合うべきだ」

 19・00 辺りが暗くなり始めた元安川に安芸区矢野町の平尾博信さん(79)が灯籠を浮かべた。西日本豪雨で知人が被災し、ボランティアで泥かきも手伝った。「平和の重さをひしひしと感じている」

(2018年8月7日朝刊掲載)

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