×

社説・コラム

核の惨禍見つめ転換の原動力に

 核兵器を巡る世界情勢はここ1年、目まぐるしく動いた。大きな契機は昨年12月、核兵器禁止条約制定に貢献した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))のノーベル平和賞受賞。廃絶を願う被爆者の長年の活動に光が当たった。

 授賞式の演説に立ったのは、広島市南区出身の被爆者サーロー節子さん(86)=カナダ・トロント市=である。級友や当時4歳のおいが被爆死した様子を証言、「愚行をこれ以上許してはならない」と呼び掛けた。渾身(こんしん)の訴えに、国境を超えて共感が広がった。

 ここに可能性を見いだせないか。核兵器廃絶を希求する価値観を世界に広げ、市民社会の連帯につなげることはできないか。国際社会を動かせないか。

 6月には、初めて米朝首脳が会談に臨み、「朝鮮半島の完全非核化」を含む共同声明に署名した。直前まで核抑止論を盾に激しい応酬を続けていたにもかかわらずである。政治的な思惑や国益を考えての戦略という面は否定できない。だからこそ、「核兵器がもたらす非人道的な惨禍にこそ目を向けて」という被爆者の願いを、核に頼る政治指導者の考えを転換する原動力にしたい。そこにヒロシマの役割がある。

 松井一実広島市長は平和宣言で、条約を廃絶に向けた「一里塚」とするよう世界の政治指導者に呼び掛けた。発効には50カ国・地域の批准が必要だが、批准した国・地域はまだ14。さらに増やすため、武力に頼らない安全保障を望む世論形成も大切だと説く。

 だが、米国の「核の傘」の下にある日本政府は立場を変えない。安倍晋三首相は条約に参加しない考えを改めて示した。被爆地と被爆国の溝は埋まらない。

 被爆者の平均年齢は82歳を超えた。2年後には、核保有国、非保有国が核軍縮策を議論する5年に1度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議がある。核兵器廃絶への道筋を描くには、手をこまねいている時間はない。

 「あの日」をどう感じてもらうか。6日に平和記念式典があった平和記念公園(広島市中区)には、原爆で壊滅した旧中島地区の遺構が眠る。被害の実態を伝えるため、公園内で遺構を公開する市の計画作りも動きだした。

 73年前のあの日、それぞれの朝があった。掘り起こされた焦土や品々は原爆に根こそぎ奪われた市民の暮らしそのものだ。もし自分が、家族がそこにいたら。ともに考えたい。(野田華奈子)

(2018年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ