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社説・コラム

『潮流』 四国五郎さんの原風景

■備後本社編集部長 寿山晴彦

 被爆の惨状の中で、お地蔵さんはかっと目を見開く。反戦・平和を訴え続け、2014年に亡くなった広島市の画家四国五郎さんと聞いて、絵本「おこりじぞう」のこの描写を思い起こす人も多いだろう。

 シベリア抑留から帰り、弟直登さんの被爆死を知る。「闘争心のにぶくなったときには直登のことを思い出して火の玉のようになろう!」。原爆と戦争への怒りが、絵と詩作の原動力となった。自伝にそう記している。

 一方で、四国さんには身近な街や人に向ける柔らかな視線があった。著書「ひろしまのスケッチ」で足元の暮らしを描き、詩画集「母子像」では親子に温かな目を向けた。絵のタッチにもにじむ優しさはどこから来るのか。そんな思いを抱いて、三原市大和町椋梨に6月にできた四国さん初の常設ギャラリーを訪れた。

 生まれてから10歳までを過ごした地。「私の生まれたところはかくべつ美しいところではなかったが、しかし実際はなかなか美しいところであった」と紹介する古里は、今も里山の自然があふれる。展示されている画文集「わが青春の記録」には、山あいの村での幸せな日々も描かれる。いろりを囲む家族、川での釣り、田植え…。平和な日常を慈しむ原風景が、そこにある。

 ギャラリーは、小学校の廃校舎を活用した住民の交流施設の一角にあり、地元の人が手弁当で運営する。いつもは住民の文化活動などで活気がある。7月、西日本豪雨で一帯は土砂崩れが相次ぎ、住民数十人が施設に避難した。四国さんの展示室の前に畳部屋がある。そこにお年寄りたちが数日間、身を寄せた。

 格式のある美術館ではないが、泉下の四国さんは、郷里の人たちの出入りにうなずいているはずだ。市民とともに歩む芸術を生涯、実践した人として。

(2018年8月7日朝刊掲載)

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