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全壊した自宅前で祈り 入市被爆 安芸区の浜井さん

 泥や巨石に囲まれた、無残な姿のわが家の前で午前8時15分、静かに手を合わせた。広島市安芸区矢野東7丁目の日広団地で自宅が全壊し、避難所生活を送っている入市被爆者の浜井博行さん(78)。妻富美子さん(75)と二つの「あの日」に思いをはせた。「命があるんだから、前を向こう」。そう決めている。

 原爆投下当時、浜井さんは5歳だった。海田市駅(現広島県海田町)のホームで遊んでいると、広島の方の空に大きな雲が見えたことを覚えている。数日後、母と姉と3人で伯母を捜しに皆実町(現南区)へ。伯母と再会できたことは記憶に薄いが、「がれきや煙が出ている電信柱、臭い…。そりゃあ、頭から離れない」。

 戦後は家業の建具業を継ぎ、建設ラッシュの波に乗って会社を拡大させた。しかし、62歳から病との闘いを繰り返す。腸閉塞(へいそく)や狭心症、さらに舌がん。闘病を機に会社を畳み、「第二の人生を」と引っ越したのが今の団地だった。腕を生かし、快適な内装に仕上げた自慢のわが家だった。

 そして今年7月6日―。東区で用を済ませた浜井さんは午後5時、車で帰る途中、大渋滞に巻き込まれる。家で避難準備をしていた富美子さんから「裏の川が濁流になっている」と連絡があった。「わしを待たんでええ、早う避難せい」。富美子さんは長男(53)と同県熊野町の親戚宅へ、浜井さんは4時間半後に避難所へたどり着いた。翌朝、自宅の全壊を知った。同じ団地の住民2人が犠牲になった。

 あれから1カ月。「広島市民だから」と避難所から自宅に戻り、黙とうした。大好きな場所だから、ここで自宅を再建するつもりだ。「ことしは豪雨災害の犠牲者のことも考えて祈った。やっぱり涙が出るね」。いつも前向きな浜井さんの声が、少し詰まった。(加納亜弥)

(2018年8月7日朝刊掲載)

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