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社説・コラム

『想』 西川潤(にしかわ・じゅん) 平和の行く先

 グローバリゼーションを通じて世界から日本への訪問者も急増した。それとともに、広島平和記念資料館への外国人入場者数も、この十数年間に4倍に増え、昨年は39万人に及んだ。

 広島は新たな日本訪問の「聖地」になりつつある。グローバリゼーションは同時に米国などの一国優先主義を台頭させたが、ポピュリズムや政府の情報操作も広がった。こうした時代に広島などの平和博物館は、「事実の重み」によって人々が自分の頭で、戦争と平和、核戦争の帰結の問題を考えるよりどころを与えているようだ。だから、平和博物館の重要性が多くの人に実感されているのだと思う。

 ところが他方で、現代世界では、平和を脅かす新たな暗雲が立ちこめている。それは、民主主義が権威主義にとって代わられる風潮である。言うまでもなく、平和は民主主義に支えられている。専制独裁体制の下で平和はあり得ない。だが、世界的なグローバル化、市場経済化と国家主義、排外主義の風潮の下で政権の私物化、国会軽視と専制化、監視社会化などが日本をも含め、先進諸国で見られる。

 現在、全国上映中のドキュメンタリー映画「コスタリカの奇跡」は2014年、中米で非武装憲法を持つこの国で、いかに「社会正義」を訴える無名候補が大統領に選出されるに至ったかの記録だが、その過程で平和を「貧しい人を虐げない」ことと考えるこの国の人たちの、ものの考え方をよく説明していた。

 子どもたちは幼時から社会参加を通じ、自律の精神(自分との平和)を養う。また、人と人との平等で思いやりをもった関係(社会的な平和)を学ぶ。そしてエコツーリズムの盛んなこの国で、人と自然との関係(環境の平和)がこれらとつながり合っていることを理解する。

 平和の行く先が、民主主義の再建にかかっているとすれば、私たちは平和博物館を「戦争の記憶」の拠点であると同時に、さらに身の回りの平和教育の拠点として大事に育てていく必要があるだろう。(早稲田大名誉教授=東京都)

(2018年8月11日セレクト掲載)

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