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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 被爆体験伝承者 楢原泰一さん

東京から通い詰め 学ぶ

 東京で百貨店に勤務する傍ら、ヒロシマに通い続けています。原爆資料館を案内するピースボランティアや、被爆者に代わって体験を伝える「被爆体験伝承者」の活動をするためです。原点は大学1年の夏、被爆者と交わした約束でした。

 大学生協の平和学習ツアーで広島を訪れました。13歳で被爆し、差別や偏見に苦しんだ男性の体験を聞きました。「少しでも受け止め、後世に伝えてほしい」と託され、「自分にできることをやります」と答えました。その時にメモしたノートは今も大切にしています。

 当時、核兵器はあって当たり前と思っていました。しかし、「被爆者の前で核兵器を肯定できない」と考えは一変。毎年8月6日に広島に来るようになりました。学園祭のブースでも原爆について紹介。就職後も、広島で開かれる平和関連の行事や講座に積極的に参加しました。転機は、後に「広島の母」と慕う故今田洋子さんとの出会いでした。入市被爆者でピースボランティアだった今田さんから活動に誘われたのです。

 研修を経て2009年にピースボランティアの活動を始めました。「東京に住みながら続けられるのか」と心ない批判も受けました。信頼を得ようと、毎月休まずに参加。心の支えになったのはアドバイスをくれたり、原爆関係の新聞記事を送ってくれたりする被爆者やピースボランティアの仲間たちの存在でした。

 今は被爆地広島と東京の懸け橋になろうと励んでいます。支えてくれるヒロシマの人たちへの恩返しでもあります。その一つが、15年から始めた被爆体験伝承者の取り組みです。8歳の時に被爆した岡田恵美子さんの体験を、広島だけでなく東京でも伝えています。岡田さんも母のような存在です。

 被爆地の外では被爆体験の風化が著しいです。東京の小学校で伝承活動をした時、児童から「おじちゃんの話は本当なの」と聞かれ、ショックを受けました。原爆を自分のこととして捉えてもらうには、どう伝えるべきか。課題を突き付けられました。

 広島市に倣い、原爆や東京大空襲の伝承者の育成に取り組む東京都国立市からはアドバイザーを任されています。ことし6月には、原爆についてより深く知ってもらおうと広島での自主研修会を企画。被爆者との交流の場を設けたり、平和記念公園を案内したりしました。夢は、東京に原爆資料館の分館を造ること。亡き今田さんの願いでもあります。

 「子どもたちに同じ悲劇を味わってほしくない」「核が一発でもあれば平和にならない」。こうした被爆者たちの思いを、より多くの人に伝えていきます。(文・増田咲子、写真・田中慎二)

ならはら・やすかず
 東京都出身。明治学院大卒業後、98年東急百貨店入社。09年からピースボランティア、15年から被爆体験伝承者。17年から東京都国立市の「くにたち原爆・戦争体験伝承者育成プロジェクト」アドバイザー。東京都杉並区在住。

(2018年8月14日朝刊掲載)

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