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中沢さん同級生が追悼文 画家今口さん 原爆を描く思い新た

 昨年暮れに亡くなった漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの中学時代の同級生で被爆者の油絵画家今口賢一さん(73)=相模原市=が書いた追悼文が、中国新聞社に届いた。(二井理江)

 江波中(現広島市中区)1年の時、1組で机を並べていた2人。追悼文では、真後ろに座っていた中沢さんについて「授業中はいつも手塚治虫の『鉄腕アトム』の模写をして、あまり勉強はしていなかった」と記す。また、被爆で頭部にやけどをしていた中沢さんが「大勢の心ない同期生から『ピカドン・ハゲ』と言われていた」と振り返る。

 今口さん自身は、爆心地から約2・2キロの舟入国民学校(現舟入小、中区)の校庭で被爆。半鐘台の下敷きになり、頭や足にけがをした。20歳の時に画家を志して東京へ出た。

 中沢さんが「はだしのゲン」を描いていることを新聞で知った時には、「すごいなぁ、偉いなぁ」と思わず声を上げたという。「彼の強靱(きょうじん)な精神の仕事は、被爆者の一人として心強かった」

 中沢さんが、母の死を機に原爆漫画を描き始めたのと同様、今口さんも1983年の暮れに母を亡くし、原爆の絵を描くようになった。「最初は母との思い出として1回だけ、と描いたら描き足りなくて、次から次に夢に見て、描くようになった」。これまでに21枚を完成させた。

 今口さんは「中学時代の中沢さんは野球好きで、広いグラウンドでよく遊んだ。おととしの8月6日の新聞で、(マツダスタジアムであった広島東洋カープの試合の始球式での)元気な姿を見ていただけに、訃報を聞いてショックだった」と残念がる。現在は22作目となる原爆の絵を制作中。「描かなきゃ、という思いがある。絵筆が持てなくなるまでこれからも原爆を描き続けたい」と意欲を見せる。

 追悼文は、中国新聞の中沢さんの評伝が友好紙の東京新聞に掲載されたのを見て、「被爆者の一人として気持ちを表したい」と執筆。東京新聞に寄せた。

(2013年1月28日朝刊掲載)

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