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社説・コラム

社説 平成最後の終戦の日 不戦の誓いを次代にも

 歴史に対する謙虚な姿勢がもたらす言葉だろう。平成最後となる戦後73年の終戦の日、天皇陛下は改めて「深い反省」を口にされた。先の戦争を肌身で知る人が減る中、記憶と不戦の誓いを次の世代が引き継いでいくには大切な視座と言えよう。

 来年4月末の退位で平成は終わりを告げる。全国戦没者追悼式に集った約7千人の顔ぶれから、「昭和」がますます遠のいていることを痛感させられた。

 平成元年の1989年は「戦没者の妻」が出席者の約半数を占めたが、今年は10人余りにとどまる。子や孫の世代が目立ち戦後生まれが全体の約3割となった。世代交代が進んでも先の戦争に真摯(しんし)な目を向けたい。

 そうした思いをくんだのが追悼式での陛下の「お言葉」だろう。自ら筆を執り、深夜まで推敲(すいこう)を重ねるという。約310万人とされる犠牲者を悼み、遺族をいたわり、復興の苦難に思いをはせ、平和を願ってきた。

 「反省」の2文字を陛下が加えたのは戦後70年の2015年だった。広島、長崎、沖縄を改めて訪れ、太平洋戦争の激戦地パラオにも足を延ばした。思いを新たにされたのだろうと宮内庁関係者は推察する。ただ昭和天皇の子で戦中世代の陛下にはこの2文字に触れる覚悟が前からあったとも考えられないか。

 「反省」の表現を巡っては好意的な受け止めの一方、天皇の政治関与として疑問視する向きもあるという。それでも陛下が言及を続けたのは、象徴天皇として悲惨な戦争体験の風化にあらがい、過ちを繰り返してはならないとの一念からだろう。来年即位される戦後生まれの皇太子さまにも、その思いはきっと受け継がれていくはずだ。

 「歴史と謙虚に向き合い」との表現を追悼式で用いたのは安倍晋三首相だった。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と誓い、戦没者への敬意や世界平和への貢献をうたった点は共感できる。だが、なぜ反省という言葉が出てこなかったのか。

 式辞で加害責任の反省に触れるようになったのは94年の村山富市首相からだ。安倍首相も第1次政権の07年は「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持する」と述べた。しかし第2次政権発足後の13年から「反省」「不戦」などの文言は消えていく。

 戦争で辛苦を与えたアジア諸国のみならず「赤紙」で戦地に駆り出され命を落とした兵士や遺族への心配りを欠いてはなるまい。首相の歴史認識を巡っては諸外国から疑問の目が向けられていることも自覚すべきだ。

 平成の30年間は、冷戦終結や世界同時テロなど激動の時代と言える。国際社会は各国の為政者の思想や平和観に敏感になっているのではないか。安倍首相も改めて「不戦の誓い」を口にすることが求められていよう。

 安全保障関連法の施行で、米国の戦争に日本も巻き込まれる恐れがないとは言えなくなった。国民の不安を取り除くためにも厳格な一線を引くべきだ。朝鮮半島の非核化実現に向けても、平和国家を掲げる日本の振る舞いが問われている。

 首相が意欲を見せる改憲でも9条の扱いが大きな焦点となる。政府・与党が数の力で強引にレールを敷くべきものではない。主権者たる私たちは歴史に謙虚に向き合い、不戦の誓いを脈々と引き継いでいきたい。

(2018年8月16日朝刊掲載)

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