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「対馬丸の悲劇忘れない」 比治山陸軍墓地で初の慰霊祭

 太平洋戦争中の1944年8月22日に米潜水艦に撃沈された、沖縄の学童疎開船「対馬丸」の子どもを追悼する慰霊祭が22日、比治山陸軍墓地(広島市南区)で初めて営まれた。犠牲となった児童の同級生や子どもたちが参列。同乗した広島の陸軍部隊を弔う場所でもあり、悲劇の記憶の継承を誓った。

 参列者約90人が、広島に拠点を置いた暁部隊(陸軍船舶司令部)の船舶砲兵部隊の碑前で黙とうした。「船舶砲兵部隊慰霊碑を守る会」の吉田只五郎副会長(73)=西区=が「若い人たちに戦争の怖さ、残酷さを伝えていきたい」とあいさつ。同会が近く対馬丸記念館(那覇市)に贈る対馬丸の絵画の写真パネルを披露した。

 74年前、天妃(てんぴ)国民学校(現在の那覇市の天妃小)3年で対馬丸の乗船対象だった梅本テル子さん(82)=東区=も参列。父親が同時期に召集され、その移動船で九州に渡ったが、同級生15人は犠牲となった。

 「わんぱくだった近所のレコード店の男の子も亡くなりました」と梅本さん。「自分は助かり、ずっと申し訳ない思いがあった。広島で追悼の機会がなく、絶対参列したかった」と目を細めた。

 対馬丸は鹿児島県沖で撃沈され、判明しているだけでも学童784人を含む1482人が死亡。船舶砲兵も護衛のために同乗し、21人が戦死した。

 慰霊祭の発案者で、沖縄戦の調査を学生と続ける広島経済大(安佐南区)の岡本貞雄教授(66)は「悲劇から75年の節目になる来年も続けたい」と話している。(水川恭輔)

(2018年8月23日朝刊掲載)

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