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母国の復興へヒロシマ学ぶ スリランカの記者ら

■記者 藤村潤平

 民族対立による内戦で荒廃したスリランカ東部の復興を担う現地の行政官やジャーナリスト計9人が22日、広島市中区の平和記念公園を訪れた。被爆者の証言や原爆資料館の見学を通して惨禍から立ち上がった広島の歩みをたどり、母国復興の思いを強めた。

 メンバーは、民族や宗教が異なる20~40歳代の男女。外務省の招聘(しょうへい)事業で17日から来日し、広島訪問を「日本の復興の象徴を肌で感じたい」と強く要望していた。

  被爆者を囲む会では、爆心から1・5キロの平塚町(中区)で建物疎開中に被爆した阿部静子さん(82)=海田町=が戦後にケロイドで苦しんだ体験などに耳を傾け、「米国を憎んでいるか」「差別を受けたか」と質問した。その後、資料館を約一時間半かけて見学した。

  スリランカでは、多数派のシンハラ人と少数派のタミル人との対立で、政府軍と反政府組織が過去20年にわたり内戦を繰り広げていた。2002年の停戦合意までに双方で約7万人が犠牲となり、反政府組織が支配していた東部地域の安定と発展が課題となっている。外務省は和平プロセス推進事業として、現地で平和構築を担う人材を招く事業を2004年から始め、今回が4回目となった。

 新聞記者のバドーディーン・モハメド・ムルシディーンさん(42)は「阿部さんの『原爆を忘れることはないが、米国を憎んではいない』という言葉が心に残った。被爆者の思いや広島の復興は、世界平和に向けたメッセージであり、教訓だ。今回の経験を生かし、国内に残る対立感情を解消するための取材や平和活動に取り組みたい」と決意をあらたにしていた。

(2009年2月23日朝刊掲載)

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