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連載・特集

[インサイド] 追悼行事 継続に危機感 高齢化進む戦没者遺族会

行政が引き継ぎも 担い手育成を模索

 戦後73年を迎え、戦中、戦後の苦難を乗り越えた戦没者遺族は、一段と老いを深める。中国地方では、遺族会が担ってきた追悼行事の運営が担い手不足で困難になり、行政が引き継ぐケースが出ている。戦後世代への継承を模索する動きもある。各地の遺族の思いをたどった。(石川昌義)

 「戦没者の妻が姿を見せなくなってから5年くらいたつ。寂しいね」。8月22日、東広島市であった市戦没者追悼式。市遺族連合会の栗原信明会長(78)=同市豊栄町=は残念がった。

減少続く参加者

 栗原さんの父親は1945年7月25日、フィリピンで戦死。28歳だった。戦後、一人息子の栗原会長と母いみよさん(97)、祖母が田畑を守った。「苦労に苦労を重ねました」と、いみよさん。足腰が弱って式に参列できなくなった今、自宅の仏壇の前で手を合わせる。

 追悼行事を営み、遺族の処遇改善を行政に訴えた主役はかつて戦没者の妻たちだった。しかし、その人数は急減している。厚生労働省によると、終戦の日に東京である政府主催の全国戦没者追悼式に参加した戦没者の妻は98年に954人。2008年に85人になり、この夏は14人だった。

 三次市遺族会連合会三次支部は52年から毎年、市内約10カ所の慰霊碑の巡拝を続けるが、参加者は年々減っている。本崎克治支部長(75)は「戦没者の妻の情熱で始まった行事だが、近いうちに続けられなくなりそうだ」と打ち明ける。

 子の世代も高齢化し、追悼行事の運営も難しくなった。尾道市では今夏から、平成の大合併以前の2市3町単位の遺族会が開いていた追悼式を一本化し、市が引き継いだ。8月24日に初の市主催の式典が予定されていたが、台風接近の影響で中止になった。御調町遺族会の金野(かのう)増三会長(78)は「遺児も70代半ばから80代。これまでのような活動は難しい」。

証言をDVD化

 戦時下の記憶が急速に失われていることに、遺族会は危機感を強める。

 広島県遺族会は15年から「戦没者を語る会」を始めた。遺族が証言する様子をビデオで収録。各地の遺族会や学校にDVDを配り、同会のホームページで公開している。岡山県遺族連盟は、戦没者の妻の撮影を続ける写真家柴田れいこさん(70)=津山市=に協力。54人の聞き書きを盛り込んだ写真集の出版と写真展の開催につなげた。

 庄原市戦没者遺族会は13年から、特攻隊員の遺影や遺書などを展示する知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)に子や孫の世代を派遣する取り組みを続ける。8月22日にあった庄原市主催の戦没者追悼式に、知覧を14年に訪れた同市の病院職員佐倉和子さん(61)が参列していた。伯父をフィリピンで失った佐倉さんは「戦後生まれの私たちは戦争の悲惨さを知らないが、先人の思いを忘れたくない」。

 同市の遺族会活動に半世紀以上携わる井沢聖昭(まさあき)会長(80)は「活動を戦後世代に引き継いでもらい、平和の大切さを伝え続けてほしい」と期待する。

軍人恩給受給者が急減 5年前の4分の1 戦争体験どう継承

 戦後73年を迎え、旧軍人に国が支給する軍人恩給と、戦没者の妻が主な対象になる公務扶助料の受給者が急減している。中国地方5県の受給者数は今年3月現在、軍人恩給計1622人、公務扶助料計1542人で、それぞれ5年前の4分の1、3分の1になった。専門家は、戦争体験者の証言を次世代に残す活動の強化を求める。

 恩給制度を所管する総務省によると、受給者の5県別内訳は、軍人恩給が広島593人▽山口328人▽岡山335人▽島根259人▽鳥取107人。公務扶助料が広島477人▽山口321人▽岡山370人▽島根208人▽鳥取166人。2013年3月時点の5県の受給者は軍人恩給計6693人、公務扶助料計4445人。この5年の減少率は軍人恩給75・8%、公務扶助料65・3%。

 全国で軍人恩給の受給者数のピークは1970年の125万6409人。戦没者遺族に国が支払う公務扶助料は、父母や未成年の遺児の受給が多かった57年に最多の153万7075人に達した。今年3月現在、軍人恩給は1万7221人、公務扶助料は1万6244人で、受給者の平均年齢はそれぞれ97・3歳、94・8歳。今の減少ペースでは来年にもいずれも1万人を割る可能性がある。

 軍属と、国民義勇隊員、動員学徒などの準軍属を対象にする障害年金や遺族年金・給与金の受給者も減っている。厚生労働省によると、13年に全国で1585人いた障害年金受給者は933人に、9810人だった遺族年金・給与金の受給者は4265人に減った。

 06年と16年に広島市など全国4都市の中学生に「戦争体験の語り継ぎ」を主題にアンケートした京都教育大の村上登司文教授(平和教育学)は「祖父母や曽祖父母から聞いたとの回答は過去2回とも3割台で変化が少なかったが、今後の調査で減ることは間違いない」と指摘。「戦争体験者の証言を映像で記録し、インターネットを通じて教育現場や家庭で生かせるアーカイブ化を進めるべきだ」と提言する。(石川昌義)

軍人恩給と公務扶助料
 恩給制度は1875年に始まった。敗戦後の1946年に連合国軍総司令部(GHQ)の指令で大半が廃止されたが、53年に復活した。軍人恩給は一定期間以上、旧軍に所属した人が対象。公務扶助料は戦没した旧軍人の遺族のうち、配偶者、未成年の子、父母などが受給対象。現在は9割以上を妻が占める。受給額は軍歴や戦時中の俸給額で異なり、年間最低保障額は軍人恩給56万8400円、公務扶助料196万6800円。

[インサイド] 追悼行事 継続に危機感 高齢化進む戦没者遺族会

行政が引き継ぎも 担い手育成を模索

 戦後73年を迎え、戦中、戦後の苦難を乗り越えた戦没者遺族は、一段と老いを深める。中国地方では、遺族会が担ってきた追悼行事の運営が担い手不足で困難になり、行政が引き継ぐケースが出ている。戦後世代への継承を模索する動きもある。各地の遺族の思いをたどった。(石川昌義)

 「戦没者の妻が姿を見せなくなってから5年くらいたつ。寂しいね」。8月22日、東広島市であった市戦没者追悼式。市遺族連合会の栗原信明会長(78)=同市豊栄町=は残念がった。

減少続く参加者

 栗原さんの父親は1945年7月25日、フィリピンで戦死。28歳だった。戦後、一人息子の栗原会長と母いみよさん(97)、祖母が田畑を守った。「苦労に苦労を重ねました」と、いみよさん。足腰が弱って式に参列できなくなった今、自宅の仏壇の前で手を合わせる。

 追悼行事を営み、遺族の処遇改善を行政に訴えた主役はかつて戦没者の妻たちだった。しかし、その人数は急減している。厚生労働省によると、終戦の日に東京である政府主催の全国戦没者追悼式に参加した戦没者の妻は98年に954人。2008年に85人になり、この夏は14人だった。

 三次市遺族会連合会三次支部は52年から毎年、市内約10カ所の慰霊碑の巡拝を続けるが、参加者は年々減っている。本崎克治支部長(75)は「戦没者の妻の情熱で始まった行事だが、近いうちに続けられなくなりそうだ」と打ち明ける。

 子の世代も高齢化し、追悼行事の運営も難しくなった。尾道市では今夏から、平成の大合併以前の2市3町単位の遺族会が開いていた追悼式を一本化し、市が引き継いだ。8月24日に初の市主催の式典が予定されていたが、台風接近の影響で中止になった。御調町遺族会の金野(かのう)増三会長(78)は「遺児も70代半ばから80代。これまでのような活動は難しい」。

証言をDVD化

 戦時下の記憶が急速に失われていることに、遺族会は危機感を強める。

 広島県遺族会は15年から「戦没者を語る会」を始めた。遺族が証言する様子をビデオで収録。各地の遺族会や学校にDVDを配り、同会のホームページで公開している。岡山県遺族連盟は、戦没者の妻の撮影を続ける写真家柴田れいこさん(70)=津山市=に協力。54人の聞き書きを盛り込んだ写真集の出版と写真展の開催につなげた。

 庄原市戦没者遺族会は13年から、特攻隊員の遺影や遺書などを展示する知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)に子や孫の世代を派遣する取り組みを続ける。8月22日にあった庄原市主催の戦没者追悼式に、知覧を14年に訪れた同市の病院職員佐倉和子さん(61)が参列していた。伯父をフィリピンで失った佐倉さんは「戦後生まれの私たちは戦争の悲惨さを知らないが、先人の思いを忘れたくない」。

 同市の遺族会活動に半世紀以上携わる井沢聖昭(まさあき)会長(80)は「活動を戦後世代に引き継いでもらい、平和の大切さを伝え続けてほしい」と期待する。

(2018年9月2日朝刊掲載)

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