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日米の懸け橋 「被爆盆栽」 三次出身の重藤さん 映像作品で歩み紹介

爆心地から2.5キロの己斐→米国立樹木園

 三次市出身で米国在住の重藤マナーレ静美さん(69)が、43年前に広島から米国に贈られた「被爆盆栽」の歩みを紹介する短編映像作品を広島の仲間たちと制作した。「海外にいち早く渡った被爆樹木。『ヒロシマ・サバイバー』と呼ばれ、今も市民に愛されている盆栽について日米双方で知ってもらいたい」と願う。(金崎由美)

 盆栽師の故山木勝さんが育てた樹齢約400年の宮島五葉松で、爆心地から約2・5キロの己斐(現西区)の山木家に置かれていた。1976年の米国建国200年に合わせ、その前年に友好の証しとして日本側から贈られた。現在は首都ワシントンの米国立樹木園の中にある「盆栽盆景博物館」の入り口で見学者を迎えている。

 首都郊外のメリーランド州に住む重藤さんは、舞台芸術家としてオペラの振り付けを担当しながら、渡米する被爆者の証言活動の支援などに携わってきた。被爆盆栽の存在を偶然知り、「困難を越えて生きる樹木の生命力と、それを大切に育ててきた日米双方の人間愛に心を動かされた。両国の平和の懸け橋に光を当てよう」と思い立った。

 作品は「ヒロシマから届いた被爆盆栽;五葉松」と題する17分。被爆時の状況や渡米の経緯、同博物館で手入れされている現在の様子に加えて、山木さんの家族のインタビューを収録。孫で頼山陽記念文化財団の事務局長、山木茂さん(39)は子どもの頃から盆栽の水やりなどで祖父を手伝っていたという。「あの盆栽の持つ平和につながるメッセージを多くの方に知っていただけることは、本当にありがたい」と喜んでいる。

 重藤さんは原爆で壊滅した本川小(中区)児童が戦後間もない時期に米国の教会に贈った絵をテーマにした記録映画「ヒロシマの校庭から届いた絵」も5年前に完成させている。当時、制作に協力した本川小の卒業生世良俊邦さん(71)=廿日市市=ら市民有志が、今回も広島での映像収録や編集作業に加わった。

 重藤さんたちは「平和教育にも役立ててほしい」と呼び掛けている。作品は日本語ナレーションで英語字幕付き。制作協賛金1200円(送料込み)でDVDを配布する。世良さん☎090(4651)4744。

(2018年9月3日朝刊掲載)

 山木勝さんの孫の茂さんが、祖父の思い出と今回のDVD完成についてコメントを寄せた。

 米国の建国200年を祝い、祖父が寄贈した一鉢の盆栽は、当家にあった中で最も古いものの一つだった。私の記憶にある祖父の姿はもう晩年の頃だが、広島弁軽やかに、穏やかながらもどこか力強い、これが明治生まれの気風かと思わせるような人だった。「どうせ贈るなら、ええもんにせにゃ、つまりゃぁせんよ」という祖父の声が今も聞こえてくるようだ。

 祖父は戦争の話はしない人だった。色々な思いはあったろう。ただ前向きな人だったから、盆栽を寄贈するだけでなく、カリフォルニア州に招かれ現地の盆栽師の指導などもしていた。米国の方たちに、日本が成熟した文化を持っていることを理解してもらえれば、これからの両国の平和に寄与するだろうとの思いがあったのではないか。

 自分が美しいと感じるものを相手も美しいと思ってくれるという現象は、言葉を超えた力を発揮する。盆栽の管理は何かと手間のかかるもの。それでも米国の地で今でも美しい樹形を保っている様子を見れば、日本で何世代にもわたって手入れをされてきたあの盆栽の美しさを十分に理解し、敬意を持って維持してくださっていることが分かる。今の姿は、贈った頃の写真の姿よりむしろ美しくなっていると感じるほどだ。私は2001年にワシントンの国立樹木園を訪問した。初めての米国旅行で大変緊張していたのだが、その盆栽の姿を見た瞬間に緊張が解けたのを昨日のことのように思い出す。世話をしてくださっている方たちに心から感謝した。

 あの盆栽は「真心で相手と向き合い、思い込みを捨ててお互い共通の価値を認め合うことでなにごともよい方へ進んでいくものだ」と言っているように感じる。重藤マナーレ静美さんが作成したDVD作品「ヒロシマから届いた被爆盆栽」を通して、あの盆栽が持つ平和につながるメッセージを多くの方に知っていただけることは本当にありがたい。二度と戦禍に遭うことなく、これからも祖父の愛した松の木が、かの国で美しい姿を保ち続けてくれることを心から願う。

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