×

社説・コラム

連載寄稿「ヒロシマ方程式を問い直す」 田中聰司 「平和宣言」とは

脱核へ歩む人類の指針

 「首相には心がない。平和宣言にも、がっかりだ」。広島市の平和記念式典に参列した被爆者の間に失望の余韻が渦巻いている。

 核兵器禁止条約について安倍晋三首相は、昨年に続いて言及すらしなかった。こんな被爆国の姿勢に対し、松井一実市長の平和宣言も条約への署名を直言せずじまい。先輩市長たちが同様の条約を1983年から平和宣言に繰り返し盛り込み、長崎市と主導する平和首長会議では2020年までの核兵器廃絶を掲げたにもかかわらず、である。

 「ヒロシマ・ナガサキ条約と呼びたい」と政府に真正面から賛同を要請した田上富久長崎市長との違いが際立つ。市民を落胆させ怒らせたばかりか、世界へ送った宣言文も被爆国と広島への疑念を広げかねない。

 平和宣言は、歴代7人の市長が読み上げてきた。市長個人の見解にとどまらず、市民の代表として、原爆被害者(海外も含めて)の代弁者として、全国、世界へ発する「ヒロシマの思想」である。

 その原型は最初の平和宣言(47年の浜井信三市長)で生まれた。原爆の出現を「人類破滅の意味」として警鐘を鳴らし、「われわれがなすべきことは新しい文明へのさきがけとなること」と洞察。占領下ゆえの抑えた表現ながら「核時代脱却の先頭に立つ」との目標を示したのである。

 この基本理念の柱が原水爆禁止=非核・非戦の誓いであり、原爆被害の非人道性の告発だ。「政府への要請」「世界への訴え」が率直、具体的に重ねられてきた。今夏の宣言にもどかしさを感じたのは、それらが不足したからだろう。例えば、73年間の死没者は50万人を超え、今なお15万人以上が苦しむ原爆被害の全体像や世界の核被害者の救済を核の告発につなぐような、大きな視点での今日的課題を聴きたかった。

 胸を打つ理念、訴えは、各界各層の願いを凝縮する営みから生み出される。市長の哲学、平和行政の投影でもある。それだけに宣言の作成には党派、思想、信条を超えた普遍的姿勢が求められよう。国政と一線を画し、圧力や道理に外れた忖度(そんたく)を振り払うには、識見に加えて覚悟、勇気も大きな要件に違いない。

 平和宣言は被爆者を励まし、市民活動を奮い立たせるものでありたい。ヒロシマの発信力の象徴として、世界の人々の心に響く言葉を届け、希望を広げるものでありたい。脱核への道を歩む人類の指針にほかならないからである。(ヒロシマ学研究会世話人)

(2018年9月3日セレクト掲載)

年別アーカイブ