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山岡ミチコさん死去 82歳 被爆し渡米治療 平和訴え

 広島で被爆し、10年後に渡米してケロイド治療を受けた女性25人の一人で、国内外で証言活動に尽くした山岡ミチコ(やまおか・みちこ)さんが2日午後10時1分、肺炎のため広島市中区の介護施設で死去した。82歳。広島市中区出身。自宅は広島市中区西平塚町4の28。葬儀は4日正午から広島市南区大州5の3の22、平安祭典広島東会館で。喪主は義妹ナリ子(なりこ)さん。

 進徳高等女学校(現進徳女子高)に通っていた15歳の時、爆心地から約800メートルの現在の中区三川町で被爆。動員学徒として広島中央電話局に向かう途中で、顔や腕に大やけどを負った。

 広島流川教会の故谷本清牧師や米国のジャーナリスト、故ノーマン・カズンズ氏たち日米の市民の支援で実現した渡米治療に参加。1955年5月から約1年半、ニューヨークの病院でケロイドの治療を受けた。治療に参加した女性は「ヒロシマ・ガールズ」と呼ばれ、全米に被爆の実態を知らしめた。

 母の死を機に79年、証言活動を始め、米国やフランスなど海外にも出向いて命と平和の尊さを訴えた。2006年に脳梗塞で倒れたがリハビリに励み、修学旅行生たちに証言を続けた。(田中美千子)

力強い被爆証言活動に惜しむ声 山岡ミチコさん訃報

山岡さん ゆかりの人 悼む声

 被爆10年後に米国でケロイドの治療を受けた女性の一人で、国内外で被爆証言活動を続けた山岡ミチコさん(82)=広島市中区=の訃報が届いた3日、ゆかりの人たちに悲しみが広がった。

 進徳高等女学校の同級生で、共に証言活動を続けてきた寺前妙子さん(82)=安佐南区=は「生き残った者として世界に悲劇を伝えようと熱心に活動された。もっと生きてほしかった」と惜しんだ。

 NPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(WFC、西区)の役員も務めた山岡さん。前理事長の森下弘さん(82)=佐伯区=は「若者にヒロシマのメッセージを伝えることに心を砕かれた。本当に寂しい」。

 「病気で倒れた後、車いすで活動に復帰された。堂々と、力強い言葉で証言された姿が忘れられない」。山岡さんが外国人に体験を話す際、通訳を務めたWFC理事長の山根美智子さん(65)=南区=は振り返った。

 義妹の山岡ナリ子さん(70)=海田町=は「姉は渡米治療で生きる勇気を取り戻した。日米両国の人たちの温情に報いようと、体験を語り伝えることを使命としていた」との談話を寄せた。(田中美千子、根石大輔)

(2013年2月4日朝刊掲載)

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