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特攻隊員に村人の真心 山口・阿東の秘話 元中学教諭大野さん映像化

不時着 総出で滑走路整備

 山口市阿東地福下の元中学教諭大野進二さん(71)が、終戦の約4カ月前に嘉年村(現山口市阿東嘉年)に戦闘機が不時着した実話を基にした映像作品を作った。特攻パイロットと村人が交流した秘話を目撃談や特攻資料で追っている。(藤田龍治)

 作品は「語り継ごう阿東の史話」。1945年4月14日昼すぎ、村の草刈り場だった台山に戦闘機「隼(はやぶさ)」が不時着した出来事を、目撃者の旧村役場職員倉田幾男さん(93)=山口市阿東嘉年上=のインタビュー中心に再現。大野さんの妻和子さん(69)のナレーションや手作りの効果音、絵、テロップを交えて17分51秒にまとめ、約2年がかりで完成させた。

 倉田さんによると、突然の不時着で村は大騒ぎ。重政正男と名乗る若いパイロットが再び飛び立つため、村人は総出で草刈りや土ならしをし、約200メートルの滑走路を3日間で造ったという。

 物珍しそうに集まってきた子どもを重政さんは気さくに抱き上げ、操縦席にも乗せてくれた。倉田さんは「優しくて好感の持てる男だった」と振り返る。

 重政さんの隼は18日に村から離陸したが、21日に再び上空に出現。旋回しながら「これから沖縄に戦いに行く。お世話になりました」と書いたビラを投げ落とし、操縦席から何度も手を振りながら去っていったという。

 防府市の防府基地から村役場に、沖縄で敵の航空母艦に突っ込み戦死したと連絡が入ったのは数日後だった。

 作品は、福山市出身の重政さんが同年5月4日に沖縄で特攻戦死した記録と遺影が飾られている知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)も収録。倉田さんが地元の嘉年小で児童に当時の思い出を語る様子も収めている。

 倉田さんは知人を通じて入手した重政さんの写真を眺めながら、「今思えば不時着した飛行機は機関銃も無線も無かった。当時は英雄だったが、若者が自ら死にゆくのは何と悲しいことか」と振り返る。大野さんは「不時着は地元でも知る人は少なくなった。映像でしっかり残し、後世に伝えたい」と話している。

(2013年2月6日朝刊掲載)

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