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組織片の変化・劣化進む 久保山さん病理標本

■記者 東海右佐衛門直柄

 1954年に水爆実験に遭い、死亡した「第五福竜丸」無線長の久保山愛吉さん=当時(40)=の組織とみられる病理標本を保管していた広島大原爆放射線医科学研究所(広島市南区)の川上秀史国際放射線情報センター長が2月27日、記者会見した。水爆ではなく「原爆」と記され、名前もなかったため、誰のものか分からないままに保管していた経緯を明らかにした。

 説明によると「259900」と通し番号が付いたこの標本は69-70年に米陸軍病理学研究所(AFIP)から譲渡された原爆被害者の4552例の中にあった。他の標本のように名前や調査票、解剖記録などは添付せず、通し番号も他と離れていたため誤記ではないかとも思っていたという。一緒にあった紙片には「A-BOMB」と書かれていた。

 久保山さんの死因は米側は放射線被曝(ひばく)でなく「輸血治療に伴う肝炎」と主張した。病理標本には真相解明の期待はかかるものの、1センチ四方の5つの組織片は褐色に変色して劣化し、正確な部位は分からない。一緒にあった35枚のプレパラートも肝組織でない可能性が高いという。

 現在の技術では死因特定までは難しく、川上センター長は「分析技術が進歩するまで、大切に保管したい」との考えを示した。

 久保山さんの病理標本は解剖に立ち会った米軍医を通じてAFIPに渡った後、日本に返還されたとみられ、広島市立大広島平和研究所の高橋博子助教が米国で見つけた文書に久保山さんの名と「259900」の番号があった。高橋助教は「被害者の実態を示す貴重な資料。解明が進んでほしい」としている。

(2009年2月28日朝刊掲載)

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