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「平和の鐘」つなぐ鎮魂 記念式典使用3代目 原爆資料館に寄贈

 広島市の平和記念式典で1952年から12年間使われた3代目の「平和の鐘」を、西区の小田正人さん(84)が原爆資料館(中区)に寄贈した。かつて西区中広町にあった光元寺の住職だった亡き父から受け継ぎ、自宅で保管していた。(増田咲子)

 鐘は直径30センチ、高さ55センチ、重さ21・5キロ。表面に「世界平和伝声之鐘」などの文字が刻まれている。光元寺は65年、火災で焼けたが、鐘は無事だった。小田さんは「平和を願って鳴らされた鐘を後世に残してほしい」と寄贈を決めた。

 光元寺は、戦後復員してきた小田さんの父が中広中(西区)の近くに開設。市役所勤めの門徒から依頼され、「平和の鐘」として貸すことになった。8月6日に法要を営む寺が多く、市は鐘の確保に苦労していたという。

 原爆資料館は6月ごろ、寄贈された資料を紹介する「新着資料展」で、この鐘を公開する予定。佐藤規代美学芸員は「鎮魂と平和を祈る人々の思いが詰まった鐘。その思いをつなげていきたい」と話している。

 原爆投下時、小田さんは海軍予科練に入り、高知県宿毛市にいた。自宅(現西区中広町)にいた弟と妹2人は、崩れた建物の下敷きになるなどで死亡した。

平和の鐘
 8月6日の広島市の平和記念式典で午前8時15分から1分間鳴らし、黙とうして原爆死没者に哀悼の意を表し、平和の実現も祈っている。市などによると、1947年の平和祭で始まった。現在の鐘は5代目で67年から使用。鐘造りの名人で人間国宝となった故香取正彦氏が制作、市に寄贈した。初代の洋風の鐘は盗まれた。2代目は49年、地元の金属業者でつくる広島銅合金鋳造会が寄贈。今は市中央公園(中区)にある。3代目(52~63年)は西区中広町にあった光元寺、4代目(64~66年)は、南区元宇品町の観音寺から借りた。

(2013年2月11日朝刊掲載)

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