×

ニュース

被爆十字架 新たな命 広島流川教会のシンボル 保存処理終え帰着

 広島市中区上幟町の広島流川教会に10日、保存処理を終えた「被爆十字架」が戻ってきた。原爆投下後の焼け野原に残った黒焦げの木を組んで作られた十字架。劣化が進んだため奈良文化財研究所(奈良市、奈文研)に処理を依頼していた。被爆体験を次代に伝え平和を求める教会の象徴として、15日完成する新たな礼拝堂に掛けられる。

 被爆十字架は縦2メートル、横1・2メートル。表面が焼け焦げ、もろくなっていた。主に古代の文化財を扱ってきた奈文研が昨年秋に作業を始め、アクリル樹脂を染み込ませるなどした。仕上がりを確認した沖村裕史牧師(57)は「しっかり直していただいた」と喜んだ。

 教会は68年前の原爆投下時、爆心地から900メートルの上流川町(現中区鉄砲町)にあり壊滅的被害を受けた。1952年、同じ場所に再建。被爆した独身女性の渡米治療などに尽力した故谷本清牧師を中心に、被爆者支援の拠点となった。

 教会内に保管されてきた被爆十字架は被爆50年の95年、「記憶を風化させないために」と礼拝堂正面に掲げられた。教会は昨年2月、建物の現地建て替えが始まったのに合わせ、原爆資料館(中区)に十字架の保存方法を相談。資料館が、被爆資料の保存調査を依頼している奈文研へ協力を要請していた。沖村牧師は「被爆十字架は平和を求め続ける力をくれる。ずっと大事にしたい」と話している。3月3日から、新しくなった教会で礼拝できる。(田中美千子)

(2013年2月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ