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「幼子にかける言葉がなかった」 平和祈念館が被爆体験代筆

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)が、高齢の被爆者に代わって体験記をまとめる事業で、当時広陵中1年だった藤岡久之さん(85)=廿日市市=から証言を聞き取った。被爆時の状況や、市中心部の様子などを聞いた。

 藤岡さんは1945年8月6日、鶴見橋(現中区)付近での建物疎開作業に動員され、取り壊し予定の家屋内で被爆した。8人家族のうち両親と弟は大手町(同)の自宅で被爆し、ガラス片などでけがをしたが、6日夕に自宅近くの竹やぶで再会した。

 7日以降、潮の満ち引きに合わせて川を流れる遺体など、市中心部の惨状を目の当たりにした。幼い男の子が飛び出た眼球を手で押さえ「お母ちゃんがおらんのんよ」と話す様子には「かける言葉がなかった」と声を震わせた。「原爆で何が起きたか、あらゆる人に知ってほしい」と願う。

 同館の代筆事業は2006年度に開始。本年度は公募に応じた8人から聞き取り、来年3月までに体験記にまとめて公開する。(明知隼二)

(2018年10月27日朝刊掲載)

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