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社説・コラム

連載寄稿「ヒロシマ方程式を問い直す」 田中聰司 政治への民意反映

核禁条約 批准論議を

 核兵器禁止条約誕生の原動力になった核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))のノーベル平和賞受賞は、被爆国にとっても大きな喜びであり、励みでもあった。と同時に、私たちの本分が問われた、と受け止めたい。

 毎年ノミネートされてきた日本被団協や、世界の反核運動の源である原水禁運動体は陰にかすんだ。非核国の先頭に立つべき被爆国の政府が条約に背を向け、世界に失望を広げたことも関係しているだろう。

 米国にモノ言えぬ従属的な同盟体質が強まってはいないか。北朝鮮に非核化を迫る一方で核軍拡へ走るトランプ米政権に対する最近の日本政府首脳の言動に、それが表れている。臨界前核実験の再開に抗議もしない。小型核開発の新戦略を「歓迎」し、旧ソ連(ロシア)と結んだ中距離核戦力(INF)廃棄条約の破棄表明には「残念」。忠告や提案をする姿勢は、全くもって見えない。

 日本政府が国連総会に提出した核兵器廃絶決議案も従来と同様、核軍縮の域を出ないばかりか、核禁条約の批准を求める国々の熱意を無視するかのように、条約には触れずじまい。これでは条約発効を妨げる「悪役」扱いされても仕方がないと、余計な心配も湧く。

 「核の傘」への依存などを理由に、条約をめぐる政府答弁は「賛成しない」から一歩も出ようとしない。それは、見解をただし、提言し、審議を重ねるはずの国会が機能不全に陥っていることにもよるのだろう。

 今年の通常国会にしても衆院外務委員会と参院外交防衛委員会で数回ずつ、北朝鮮問題の質疑が行われた程度だった。核禁条約批准と核兵器廃絶を求める請願は「保留」扱いとなり、審議すらされなかった。被爆地出身の国会議員の存在感も薄い。安倍1強体制と、国民の政治離れが、ここにも映る。

 原水爆禁止の国民運動は1960年代、社会主義国の核の評価や政党介入をめぐって分裂した影響を今も引きずる。「政治的」とみなされる運動を避けようとする風潮が、政治へ働きかける力をそいできた面は否めない。だが、国民運動が得てきた教訓とは、特定の党派などと一線を画すことであり、政治へ反映させる営みを弱めることでは決してなかったはずだ。

 今夏の二つの原水禁世界大会も核禁条約発効を目指す取り組みを掲げた。いま一度、政府・国会への要請行動を強め、被爆者・市民運動を結集する努力が求められる。ロシア、中国も含めた核軍縮協議などの「橋渡し」プランや、安保・防衛政策と条約との接点をどう生み出すか―。真摯(しんし)な熟議を国会に促したい。条約に賛同する条件づくりを目指して。(ヒロシマ学研究会世話人)

(2018年10月28日中国新聞セレクト掲載)

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