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社説・コラム

『想』 池田正彦 「河」京都公演の記

 昨年末に広島で公演した原爆投下を糾弾する芝居「河(かわ)」を、9月上旬、京都市北区の紫明会館で再演した。やる気だけを寄せ集めた市民有志の雑居集団にもかかわらず、満員の観客を前に演じきることができた。

 「河」は、広島で地域劇団を主宰していた劇作家・土屋清の代表作(初演は1963年)。戦後間もない占領下の広島で、詩人峠三吉を軸に、文化運動を通じて成長してゆく若者たちを描いた青春群像劇である。

 昨年は、峠の生誕100年、土屋の没後30年という節目でもあり、多くの友人、知人の応援もあって、広島公演は大きな反響を呼んだ。この舞台を観(み)た京都の小さな出版社の若者から、「ぜひ京都でも上演を」と強い働き掛けがあったのだ。

 突然の話にひるんだ。地元ならともかく、一生懸命さだけでは通用しないと考えた。しかし、驚くことに、ほぼ全員のスタッフ・キャストが京都行きに賛成した。恐らく、広島公演を未消化と自覚し、挽回の意味を込めたのであろう。

 当初、チケット販売は苦戦したが、関西の仲間が動き、メディアも大きく取り上げてくれ、3回の公演は全て完売状態に。座布団席まで設け、急場をしのいだ。広島公演を上回る手応えで、拍手が鳴りやまなかった。

 「河」は、広島以外でも十分迎え入れられる演劇であることが証された。それは、今の状況と対峙(たいじ)する重要なテーマを内包しているからであろう。

 舞台のフィナーレは、峠の詩「その日はいつか」の出演者全員による群読である。<野望にみちたみにくい意志の威嚇により/また戦争へ追いこまれようとする民衆の/その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が>、爆発する日をうたう。

 峠の「原爆詩集」では、この詩の直前に「呼びかけ」という詩が置かれている。<いまでもおそくはない/あなたのほんとうの力をふるい起すのはおそくはない>。この芝居は、「その日」を迎えるための問いを各自に突き付けることで、時代と地域を超える力をはらむ。(広島文学資料保全の会)

(2018年10月31日中国新聞セレクト掲載)

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