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社説・コラム

『論』 イチエフ廃炉 未知の領域 実感できたが

■論説主幹 佐田尾信作

 「Hairo Michi」という東京電力のPR誌を、福島県浜通りのJヴィレッジで見つけた。言うまでもなく福島第1原発(イチエフ)の廃炉を意味しており「道」「未知」さらに「<み>なさまの<ち>から」という意味を込めたとある。手に取った号の編集後記は「いつか」のために頑張る決意で結ばれていた―。

 世界を震撼(しんかん)させた事故から8年目。地方紙論説委員の取材団に加わり、廃炉作業の後方基地だったJヴィレッジとイチエフを東電側の案内で巡った。Jヴィレッジは7月から本来のサッカートレーニング施設に戻っていた。「来春にはJR常磐線の新駅ができて便利になります」と説明を聞く。

 イチエフでは「使い捨て防塵(ぼうじん)マスクと一般服で入れるエリアが96%に達しました」というフレーズを繰り返し聞かされた。放射線防護服のイメージしかない、事故直後との違いは少なからず感じる。だが、被災した四つの原子炉のうち核燃料を取り出した4号機以外は「冷温停止状態」を続けていることも厳然たる事実だろう。

 取材団はJヴィレッジで東電のバスに乗り換え、国道から帰還困難区域に入る検問で本人確認のため運転免許証を見せる。やがて構内に入って目に付くのは、東電の協力企業のカラフルなロゴが並んだ新しい建物。巨大ショッピングモールの外壁のようだ。スマートフォンやカメラは車内に残すよう求められ、1日5千人が出入りする入退域管理棟へ促された。

 ここでは「免許証のコピー、いいですか」と問われ、IDカードを受け取る。「なぜコピーまで」と苦情も出た。さらに1人ずつ放射線量の測定を受けた。これは終了の際も測って被曝(ひばく)の有無を確認するという。空港の出入国よりずっと時間を食うはずである。

 その後、3年前に開業した社員食堂で380円均一の昼食を取った。食後に隣のローソンをのぞこうと思ったが、やんわり離席を制止される。ともあれ、NHKの番組名を拝借するなら「サラメシ」は活気に満ちている。東電側が見せたい「日常」に違いない。

 個人線量計を渡され、ヘルメット、ゴーグル、マスク、不織布のベスト、2重の靴下に半長靴という装備で、やっとバスに乗せられ構内を巡る。1号機から4号機まで見下ろす高台に降り立ち、振り向くとおびただだしいタンク群。汚染水が漏れやすいフランジ型から耐久性のある溶接型に切り替えたことはカイゼンだそうだが、それが増え続ける一方で外に運び出せないことに変わりはない。

 その後、タンクのエリア、凍土壁の内外水位差が分かる立て坑、2号機と3号機の間の道路を巡った。水素爆発を起こした3号機の建屋は当時の生々しさを残しているが、最近は今回のような装備でも降りて見学できるようになったという。しかし、初歩的なミスが相次いでいて使用済み核燃料の取り出しは先送りされている。

 核燃料取り出しの次は、溶け落ちた核燃料(デブリ)の難題が待っている。イチエフの廃炉が未知の領域であることを実感させられた。だが、事故はなぜ起き、その時いかに対処したか、事故を避けることはできなかったのか。その説明はついになかったのだ。

 先のPR誌には、入社以来イチエフで働き、水素爆発で死を覚悟し、地域の除染作業の担当を経て再びイチエフに戻った技術者のインタビュー記事がある。そこには率直な語りがある。見学者へのレクチャーでも、こうした実体験を肉声で伝えてはどうだろう。

 旧経営陣は強制起訴裁判で弁明に終始しているが、東電の先行きにとって「百害あって一利なし」ではないか。イチエフの被曝線量が下がり、報道や研究者以外の見学も増えてくればくるほど、事故を客観的に捉え、廃炉作業への理解を深めることが必要になるはずだ。旧経営陣は「いつか」を信じて仕事に励む現場の言葉に耳を傾け、わが身を省みてほしい。

(2018年11月1日朝刊掲載)

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