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社説・コラム

天風録 『縦しわの琉球主席』

 わざわざ上京しながら琉球政府主席の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)はホテルにこもった。1969年11月のこと。部屋のテレビは羽田空港で拍手を浴びる首相の佐藤栄作を映す。3年後の沖縄返還を決めた日米首脳会談からの凱旋(がいせん)だったが、屋良は当日朝、出迎えをしないと決めた▲首相が声明などで米軍基地の問題に触れなかったからだ。地元の願いは無条件の全面返還と「本土並み」の基地負担だった。<私が万歳したら漫画じゃないか>。回顧録に胸中をつづる▲半世紀前のきょう、琉球政府のトップに就いた。まだ米国の手のひらにある政府ながら初の公選である。教員時代から屋良の唱えは「人間性の回復」で、被爆地にも心を寄せる▲戦前に高等師範学校で学んだ広島は思い出の地で「考え方の基準に平和を据える力になった」と語る。本土復帰から2年後「8・6」の式典に他県の知事では初めて出席。沖縄への米軍の核持ち込み禁止も強く求めた▲戦後沖縄の父と呼ばれる一方で、「縦しわの屋良」とのあだ名も。苦悩が眉間に刻まれた。基地負担軽減に向け、現知事もまなじりを決し、あす渡米する。本土復帰から既に46年。日米両政府はこれ以上無理を強いてはならない。

(2018年11月10日朝刊掲載)

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