原爆脅威発信 ユンク氏の歩み 生誕100年を記念 原爆資料館で企画展
13年2月21日
原爆の脅威や原発の危険性を世界に発信し続けたオーストリアのジャーナリスト、ロベルト・ユンク氏(1913~94年)の生誕100年を記念した企画展が、広島市中区の原爆資料館東館で開かれている。3月28日まで。無料。
ユンク氏の功績や広島との関わりを、写真パネルや年表計12枚にまとめた。サイン入りの著書も並べてある。
資料館によると、ユンク氏は57~80年に計5回、広島市を訪問。最初の訪問後の59年に発表した「灰墟(はいきょ)の光―甦(よみがえ)るヒロシマ」は10カ国語以上に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。
同著は白血病を患い、被爆10年後に亡くなった佐々木禎子さんを紹介。禎子さんが回復への祈りを折り鶴に込めたエピソードを、世界に広めるきっかけにもなったという。
資料館啓発課は「被爆から10年以上を経てもヒロシマの苦しみは続いていると世界に伝えてくれた人。功績を知ってほしい」としている。(田中美千子)
(2013年2月21日朝刊掲載)
ユンク氏の功績や広島との関わりを、写真パネルや年表計12枚にまとめた。サイン入りの著書も並べてある。
資料館によると、ユンク氏は57~80年に計5回、広島市を訪問。最初の訪問後の59年に発表した「灰墟(はいきょ)の光―甦(よみがえ)るヒロシマ」は10カ国語以上に翻訳され、世界的ベストセラーとなった。
同著は白血病を患い、被爆10年後に亡くなった佐々木禎子さんを紹介。禎子さんが回復への祈りを折り鶴に込めたエピソードを、世界に広めるきっかけにもなったという。
資料館啓発課は「被爆から10年以上を経てもヒロシマの苦しみは続いていると世界に伝えてくれた人。功績を知ってほしい」としている。(田中美千子)
(2013年2月21日朝刊掲載)