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社説・コラム

連載寄稿「ヒロシマ方程式を問い直す」 田中聰司 脱核のゴール先送り

被爆地は27年も待てぬ

 「2045年に核兵器廃絶を」―こんな提案が被爆地の首長から発せられようとは思いも寄らなかった。「脱核」のゴールがなぜ、今から27年も先なのか。朝鮮半島や核兵器禁止条約を巡る非核化の機運に弾みをつけなければならない重大な時局に、認識がずれてはいないか。

 「国際平和のための世界経済人会議」(11月5日、広島市)での湯崎英彦広島県知事の提唱である。「45年に核兵器のない世界を達成」する目標を掲げるよう国連に働き掛ける考えを示し、協力を呼び掛けた。

 国連は2030年までの達成を目指す「持続可能な開発目標(SDGs)」として、貧困や飢餓の廃絶など17項目を採択した(15年の国連サミット)。この中に核問題が入っていないと分かり、次回の30年サミットで核兵器廃絶の項目を追加しようというわけだ。

 すなわち、ゴール(達成時期)はさらに15年先の45年となる。被爆と国連設立100年に当たる「ふさわしい節目」と県は説明するが、「被爆1世紀まで待ってください」と原爆慰霊碑に報告できるだろうか。思慮に欠けてはいないか。

 宿題は、締め切りが延期されるほど気が緩み、時間を浪費しがちになる。これでは核保有国に逃げの口実と猶予を与えかねない。非核化の流れに水を差すだけではないか。

 15年ごとに目標を見直す国連サミットの仕組みは分かるとしても、人類生存の最大要素を加えるのに、あと10年以上も待つ理由はない。目標を表記するからには、現計画に即刻入れるよう要請すべきだ。ゴールについてはせめて「早急に」の付帯特記を求めたい。

 ゴールを掲げた先例に、平和首長会議の「2020ビジョン」がある。03年、当時の秋葉忠利広島市長が20年までの核兵器廃絶を提唱した。「20年」は「75年間は草木も生えぬ」学説を引用した被爆75年に当たる。とはいえ、これも必然的根拠ではない。

 被爆直後から「一刻も早く」と訴え続けてきた被爆者らが、ゴールの遠い構想に、もどかしさや違和感を覚えるのは当然だろう。一朝一夕にはかなわぬ悲願と思えばこそ、核を握る首脳に「即決」を繰り返し求め続けるのがヒロシマの思想であり、営みなのだ。

 非現実的な感情論だと一蹴する人がいるかもしれない。だが、行政の計画が確かに合理的で綿密だとしても、それは時に、形式に陥る短所となる。感情や感性が歴史を一変させる源になった例も少なくない。

 2020ビジョンも見直す時に来た。何よりもまず、核を持つ当事者に即決を迫らねばならない。先々までの行程表を描く前に、喫緊の行動目標作りに精魂を傾けたい。「もはや待てない」のである。(ヒロシマ学研究会世話人)

(2018年12月2日中国新聞セレクト掲載)

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