学習交流のお礼に…長島愛生園を描く 福山の盈進高3年生、25日に寄贈
13年2月25日
広島県福山市千田町の盈進高ヒューマンライツ部の3年生が、国立ハンセン病療養所長島愛生園(瀬戸内市)の施設を描いている。夏休みなどに同園の入所者から聞き取り学習をしたお礼として、卒業を前に作成。25日、同園に寄贈する。
「初めて愛生園を訪問した日を思い出す。この場所で悲しい体験があったと聞いた」。前副部長の安田裕美さん(18)が描くのは、ハンセン病患者が最初に訪れ、体の検査や消毒を受ける回春寮と呼ばれた収容所。病気への偏見と差別が残る時代、家族や社会との隔絶の場となった建物をボールペンで緻密に表現する。
ほかに、引き取り手のない遺骨3500体以上がまつられた納骨堂、水子地蔵など計9枚の下絵を安田さんが描き、受験勉強で参加できない1人を除く5人が1月から色鉛筆で色付けしている。
同部は、らい予防法が廃止された翌年の1997年から同園を訪問。入所者から苦しみや悲しみを聞き取る体験学習を続けている。高3になると「ハンセン病問題から学ぶ」をテーマに中1の道徳の講師を務め、後輩たちに体験を伝えている。
中2から11回同園を訪問した前部長の山本真帆さん(18)は「話を聞いた高齢の方が次々と亡くなっている。悲惨な歴史が風化しないよう伝えたい」。顧問の延和聡教諭(48)は「ハンセン病問題から学ぶことは多い。人の生き方、弱者の視点を持った大人に成長してほしい」と話している。(永井友浩)
(2013年2月23日朝刊掲載)
「初めて愛生園を訪問した日を思い出す。この場所で悲しい体験があったと聞いた」。前副部長の安田裕美さん(18)が描くのは、ハンセン病患者が最初に訪れ、体の検査や消毒を受ける回春寮と呼ばれた収容所。病気への偏見と差別が残る時代、家族や社会との隔絶の場となった建物をボールペンで緻密に表現する。
ほかに、引き取り手のない遺骨3500体以上がまつられた納骨堂、水子地蔵など計9枚の下絵を安田さんが描き、受験勉強で参加できない1人を除く5人が1月から色鉛筆で色付けしている。
同部は、らい予防法が廃止された翌年の1997年から同園を訪問。入所者から苦しみや悲しみを聞き取る体験学習を続けている。高3になると「ハンセン病問題から学ぶ」をテーマに中1の道徳の講師を務め、後輩たちに体験を伝えている。
中2から11回同園を訪問した前部長の山本真帆さん(18)は「話を聞いた高齢の方が次々と亡くなっている。悲惨な歴史が風化しないよう伝えたい」。顧問の延和聡教諭(48)は「ハンセン病問題から学ぶことは多い。人の生き方、弱者の視点を持った大人に成長してほしい」と話している。(永井友浩)
(2013年2月23日朝刊掲載)