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遺品 無言の証人

形見の小皿

旧天神町 母と暮らした記憶

 被爆翌月、旧天神町で見つかった母の形見の小皿=2000年、山崎寛治さんが原爆資料館に寄贈(撮影・山崎亮)

 花の模様が入った幅10センチ足らずの小皿が原爆資料館収蔵庫にある。平和記念公園(広島市中区)地下に眠る被爆遺構の公開に向け、市が調査に入った旧天神町で73年前に見つかった。原爆で壊滅した繁華街と、暮らしの記憶を伝える。

 寄贈した元住民の山崎寛治さん(90)=広島県府中町=にとっては、原爆で死亡した母トミさんの形見になる。小皿には、うずら豆やおひたしを入れた思い出があるという。

 8月6日に旧制広島二中(現観音高)で被爆した山崎さんは翌日、大けがを負いながらも天神町の自宅に戻った。しかし母に会うことはできなかった。

 9月になって、疎開していた姉と自宅跡を訪れた。母の遺骨は見つからなかったが、土の中に、この小皿があった。姉の手から山崎さんの妻敦子さん(84)に託され、自宅に大切にしまっていた。

 家族で暮らした旧天神町北組の慰霊碑が市の調査現場の近くにある。山崎さんは長年、碑を守り続け、子どもたちに一帯の被爆前の姿を語ってきた。「にぎやかな町でいろんな商売があり、川でも遊んだ。かつての町の様子を多くの人に知ってほしい」と願う。(増田咲子)

(2018年12月11日朝刊掲載)

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