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Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第63号) ヒロシマ復興と音楽

 ことしも、あと少しで終わろうとしています。師走(しわす)の街角では、一年の締(し)めくくりを感じさせるような、音楽の演奏や歌の合唱が繰(く)り返されています。

 原爆で廃虚(はいきょ)となった広島の街にも、音楽は流れていました。「ムシカ」という店では、「第九(だいく)伝説」が語り継(つ)がれています。店主の思いで1枚のレコードがかけられ、惨禍(さんか)から立ち上がる人たちへ、エールを送りました。

 また広島流川教会で、今もクリスマス音楽礼拝で歌われる「メサイア」は、戦後米国から届いた楽譜(がくふ)を使って、焼け跡で市民が練習し合唱し始めたそうです。男女が一緒(いっしょ)になり、のびやかに歌声を披露(ひろう)できるようになったのは復興の証しでした。

 音楽とヒロシマ―。中国新聞ジュニアライターは、未来に希望を持とうと歩み始めた人たちのことを取材しました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学、高校生の21人がテーマを考え、取材し、執筆しています。

紙面イメージはこちら

廃虚の街に希望の音色

1946 大みそか 音楽茶房ムシカ

第九のレコード 「生きる力」

 1946年の大みそか。広島駅近くの猿猴橋(えんこうばし)町にあった音楽茶房(さぼう)「ムシカ」で流された曲があります。ベートーベンが作曲した交響(こうきょう)曲第9番、いわゆる「第九」です。原爆から復興に向かう市民を勇気づけたと語り継がれるエピソードを、現在の店主、梁川(やながわ)忠孝さん(75)に聞きました。

 店はその年の8月、父の義雄さんがオープンしたばかりでした。「音楽を聴くと生きる力が湧(わ)いてくる」と信じ、蓄音(ちくおん)機とレコードを手に入れ店で流しました。第九は3番目に手に入れたレコードです。12月になって「関西の闇市(やみいち)で売られている」と聞き、持ち帰りました。

 原盤(げんばん)は25年にドイツで録音された貴重な作品です。「これを聴いて生きてほしい」という強い願いを込め、義雄さんが大みそかの夜に流すと、店内には静かに音楽に心を委ねる客たちの姿が…。外に目をやると、軍服を着た人が窓辺でレコードの調べに耳をそばだてています。窓辺を舞(ま)う雪が重なり、その人が涙を流しているように見えたそうです。これが「第九伝説」として伝わったのです。

 店はその後、2回にわたって移転しましたが、ファンに後押しされて2000年に現在の広島市南区西蟹屋へ。ホールも備えて昔を復元しました。02年には、第九伝説を残そうと市民の手で「よろこびのうた」という絵本も作られました。

 梁川さんは「市民一人一人が音楽を聴きながら自分の人生を振り返り、そして悩(なや)み、生きる力を得ていた。音楽で生かされていた」と考えます。そんな梁川さんも音楽で生きる一人。店で開く演奏会の後、お客さんたちの笑顔を見ると「明日もお店を続けよう」と思えるそうです。

 私たちも、当時流された第九の音源を聴きました。デジタル化の進む今と違(ちが)い、少し懐(なつ)かしさを感じる音です。人を包み込(こ)むような不思議な音色を持っていました。第九の力強さが体に染み、被爆地で再出発する市民を手助けしたことが、よく分かりました。(高1斉藤幸歩、中3風呂橋由里)

1947 クリスマス 広島流川教会

米から楽譜 メサイア合唱

歌声高らか 「前を向いた」

 〽ハーレルヤ、ハーレルヤ…。原爆で焼けてしまった上流川町の広島流川教会に、平和を願う「メサイア」の歌声が響いたのは、1947年12月のクリスマス音楽礼拝でした。

 当時牧師をしていた谷本清さんが、米国留学していた時の友だちから、楽譜(がくふ)を送ってもらったのが縁になりました。

 被爆して楽譜が一切なくなった当時、谷本さんの元に友人の米国シカゴの音楽教師、リリアン・コンディットさんから「何かできないか」と手紙が届きます。コンディットさんは、米国に原爆被害を伝えたルポ「ヒロシマ」で、谷本さんが取り上げられているのを読んで心配したのでした。

 谷本さんは知り合いの音楽家と相談し、メサイアの楽譜を送ってもらうようお願いしました。米国から30冊も届き、さっそく市内の教会などに呼び掛(か)け、男女混声の聖歌隊をつくります。メサイアは救い主イエス・キリストの生涯(しょうがい)を表した曲。2カ月間練習を重ね、年末のクリスマス音楽礼拝で歌い上げました。その様子は「ハレルヤの合唱 声高らかに」と新聞の記事になっています。

 谷本さんの長女で、幼い頃からメサイアに親しんだ近藤紘子さん(74)=兵庫県三木市=も「楽譜は素晴らしいプレゼントだった」と振り返ります。「希望を持って生きて」というコンディットさんの強い思いを、成長するにつれ感じられるようになりました。「歌い手も聞き手も、前を向いて歩んでいけた」

 現在、中区上幟町にある広島流川教会では、このメサイアとの関わりを紹介し続けています。牧師の向井希夫(まれお)さん(58)は「被爆した広島の地でメサイアを歌うことは、平和を実現していく誓(ちか)いになった。今に至(いた)るまでの歴史を大切にし、平和な世界をつくりたい」と願います。

 歌が持つ力を信じ、二度とヒロシマの悲劇を繰(く)り返してはいけない―。そんな市民の思いが感じられます。(高3沖野加奈、中2桂一葉、中1中島優野)

1945~48 新聞・資料で調べると…

 当時の新聞記事や資料をたどりました。1945年に太平洋戦争が終わると、早くから音楽集会が開かれたことが分かりました。

 終戦から3カ月たった11月13日の中国新聞に「復興は音楽からと歌謡曲大会、新人コンクールが来る十八日午前、午後の二回、広島市小町中国配電ビル四階で開かれる」と5行の記事が載(の)ります。中国配電は今の中国電力です。食糧(しょくりょう)不足を訴える記事が多い中、音楽の芽生えを伝えます。

 被爆者でジャーナリストの関千枝子さん(86)=東京都品川区=によると、同じ頃、軍人の慰労(いろう)施設(しせつ)だった宇品凱旋(がいせん)館でも、ピアノリサイタルがあったそうです。

 翌46年には、現在でいう高校生から大学1年生が中心になって「広島学生音楽連盟」をつくりました。100人余りが郡部の学校などで合唱し復興資金を集めました。今のチャリティーコンサートに当たります。

 広島の音楽史を研究している能登原(のとはら)由美さん(47)=京都市=は「好きな音楽ができる雰囲気(ふんいき)が市民を元気にさせ、原爆で傷ついた人の心の糧になった」と話してくれました。(高2池田杏奈)

(2018年12月20日朝刊掲載)

【編集後記】

 今回、私は「ムシカ」を訪れて、ファンに支えられ続けた歴史や戦後の市民を元気づけた第九のレコードについてお聞きしました。ムシカは、人々が「音楽で生かされる」ことを実感し、音楽を聴いて自分を見つめ、くつろげる場を作ったので、今でもファンに愛されているのだと思います。

ムシカの第九のレコードは現在も、広島の復興の歩みを、美しい音色とともに伝えています。この音色が人々の心の中で響き続けることを願います。(風呂橋)

 今回の取材では、広島の復興と音楽との関連性を学びました。現在私は部活動で合唱をしていますが、その中でいかに音楽の楽しさを伝えるかを考えながら歌います。ムシカの前店主、梁川義雄さんはお客さんたちに音楽の素晴らしさを訴えました。店内で流れるレコードの音色がお客さんたちの心に響く理由とは―。聴かせる人の意思が揺るぎないものであったことです。この取材で得たことが自分の糧になればと、そう思います。(斉藤)

 広島流川教会の向井牧師に話を聞きました。戦争が始まると自由が制限されるので、当時は制圧を受けずに歌えることが喜びだったという話を聞きました。好きな歌を自由に歌える今では、考えにくいことです。

 私は、歌を聴くのも好きだし、無意識に歌を口ずさむこともあります。そのようなことが許されないなんて想像できません。歌の取材を通して、戦争中は、人の命だけでなく自由も奪われるんだと、実感しました。(中島)

 以前から戦後の音楽に興味を持っていたので、今回のテーマに採用されてうれしかったです。全ての取材を通じて、分かったことがあります。戦後の混乱期に広島の人々が必要としていたのは、「娯楽」としての音楽よりむしろ、音楽を噛みしめられる「時間と心の余裕」だったのでは、と―。同時に、復興への期待や強い意志も感じます。自分と向き合い、他人とつながるツールとして「戦後の音楽」に触れられたことは新たな感覚です。もっと深く知りたいと思いました。(沖野)

 初めて電話取材を体験しました。取材する相手の表情や動きが見えない分、通常の取材よりとても緊張しました。ここで私が学んだのは「聞く力」の大切さです。相手の声のみで質問するタイミングや、相づちを打つタイミングを判断しなければならなかったので、より注意深く話を聞くことができました。実生活にも生かしたいなと思いました。(池田)

 広島流川教会で、当時アメリカから送られてきたメサイアの楽譜30冊のうちの1冊を見ることができました。戦後、何もなくなった廃虚の街に楽譜が送られてきたことで、音楽を聞いたり、歌ったりすることができるようになり、たくさんの人が喜んだと聞きました。今はスマートホンで手軽にいつでも聞くことができ、口ずさむことができます。音楽が身近にあること、どこの国の音楽でも歌うことができることは、とても平和なことなんだと感じました。戦後も今も、音楽は人に勇気を与えてくれるものです。(桂)

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