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被爆民家 解体の危機 ハーシー氏ルポ「ヒロシマ」に登場

豪雨で全壊 守る手だて 所有者探る

 爆心地から2・5キロ、爆風で刺さったガラス片の残る広島市西区己斐中の被爆民家が、7月の西日本豪雨で危機に直面している。米国のジャーナリスト、ジョン・ハーシーのルポ「ヒロシマ」にも登場。戦後は補修して使われてきたが、裏手の斜面が崩落して全壊判定を受けた。持ち主は「守る手だてはないか」と頭を悩ませつつ不安な年末を迎える。(増田咲子)

 所有者の池田美穂さん(58)の曽祖父が大正時代に約90平方メートルの平屋を建て、あの日の爆風で瓦が飛び、柱が破損したという。

 当時、暮らしていたのが原爆で左足を大けがし、両親と弟を失った故佐々木トシ子さんだ。1946年に被爆の惨禍を世界に伝えた「ヒロシマ」が取り上げた被爆者の一人で、本人が退院後に高台のこの家から、市街地の廃虚を眺めた様子が記されている。

 爆心地方向の廊下に残ったガラス片は、あえて抜かなかったという。戦後、佐々木さんは修道院のシスターとなって九州などで暮らし、いとこに当たる被爆者で池田さんの父が近年は住んでいた。ことし2月に死去し、原爆資料館のピースボランティアを務める娘が継いだところに豪雨禍に見舞われた。

 己斐地区で損壊した住家5棟の一つ。周りに土や石がなだれ込んで家を傾かせた。危ない部分を撤去し、内部の補強工事をした上で、修繕すれば居住が可能かどうかを調べてもらっているという。斜面の復旧は業者の都合がつかず、越年する見通しとなった。

 広島市内で西日本豪雨で全壊した住家は111棟。義援金配分のほか、公費で解体できる。来年1月末ごろまでに市が対象世帯の意向を確認する予定だ。「惨禍を伝える被爆家屋を何とか残せるよう、方策を考えたい」と望む池田さんも、決断を迫られる。

「ヒロシマ」
 ピュリツァー賞受賞者のジョン・ハーシー(1914~93年)が46年に広島を訪れ、故谷本清牧師をはじめ6人の被爆者の詳細なインタビューを基に執筆したルポ。米誌ニューヨーカーに掲載され、空前の反響を巻き起こして被爆地の実情を世界中に発信した。

(2018年12月26日朝刊掲載)

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