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社説・コラム

天風録 『ある邦字紙の終焉』

 今も本人自ら熱唱する姿をテレビで見かける。<海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると>と歌いだす北原ミレイさんの「石狩挽歌(ばんか)」。北の漁場(りょうば)に富をもたらした群来(くき)はどこへ―。なかにし礼さん作詞の、骨太で切ない名曲だろう▲1番の終わりに<沖を通るは笠戸丸>とある。かつての栄華をしのぶ歌なら、北洋をゆく工船の笠戸丸だろうが、前身は移民船だった。明治も終わりの1908年、この船は初めてブラジルへ、781人を送り出す。ことしは110年の節目だった▲年の瀬に、移民県の広島や山口にとっては残念な報が届いた。有力な邦字紙の廃刊である▲かの国では戦後、祖国の敗戦を認めるかどうかで日系人が相争う悲劇が起きる。そこで母国語による正しい報道を、と戦時下では禁圧された邦字紙が息を吹き返す。今回廃刊を決めたサンパウロ新聞は最大8万部を刷り、日系人の言論をリードした。だが時代の波に勝てなかった▲編集局長は給料の遅配が続く現実に弱気を見せつつ、電子版で生き残ると紙上で宣言する。地球の裏側の、私たちの知らないジャポネス(日本人)を知る機会になろう。あらためて「笠戸丸」以来の苦楽を教えてほしい気がする。

(2018年12月29日朝刊掲載)

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