×

社説・コラム

社説 「情動社会」の民主主義 鍛え直して明日を向く

 昨年暮れ、ハワイや北米、南米にかつて多くの移民を送り出した広島県や山口県にとっては残念なニュースが届いた。ブラジルの有力邦字紙、サンパウロ新聞の経営危機に伴う廃刊である。

 第2次大戦終結後のブラジルでは、祖国の敗戦を認めるか否かで日系人が「負け組」「勝ち組」に分かれて争い、勝ち組はテロまで引き起こす。戦時下には邦字紙は発行を禁じられ、「皇軍50万ワシントンに進撃」といった「戦勝デマ」が日系社会を覆っていた。その混乱が戦後も尾を引いたため、正しい情報を伝えるための邦字紙が必要とされたという。

 言論の自由を巡る現実は今どうか。「国境なき記者団」の調べでは、昨年1年間にサウジアラビアのカショギ氏を含め記者80人が殉職したことが分かった。

「つながる」価値

 全世界で記者への暴力や脅迫が目立つ。民主国家であってもトランプ米大統領をはじめ、強権を振るう政治家がメディアを敵視していることも一因だろう。

 戦後ブラジルの邦字紙は、今で言うフェイク(偽)ニュースと闘う役目を果たした。今のメディアは逆にフェイク呼ばわりと闘わざるを得ないこともある。

 トランプ氏はツイッターを駆使して既存のメディアを攻撃し、それがまた支持者の熱を高める。メディア史研究者の佐藤卓己京都大大学院教授は雑誌「潮」で、トランプ政治の登場は「情報社会」から「情動社会」へと変化しつつある世界の必然だと述べている。

 情報社会では情報の真偽に重きが置かれたが、情動社会ではそれは問題ではないという。活字メディアは論理によって読み手をつかもうとするが、インターネットを前提にしたツイッターのようなソーシャルメディアは「つながっている」こと自体に価値が見いだされる。トランプ氏の主張が支離滅裂でも支持者はツイッターで彼と「つながっている」ことに満足する。大きな違いだろう。

 ソーシャルメディア批判が本稿の目的ではない。本紙でも昨年「こちら編集局です あなたの声から」と題したコーナーを設け、ソーシャルメディアのLINE(ライン)も用いつつ読者と直接つながる試みを始めた。どのように生かすかが鍵なのだ。

独裁抑制できず

 こうしたメディアの多様化、複合化、グローバル化の渦中で、民主主義をどう鍛え直すか。私たちは突き詰めていきたい。

 一つの手掛かりに、米ハーバード大の研究者2人が著して邦訳された「民主主義の死に方」を挙げよう。民主国家でありながら選挙を通じて強権政治家が生まれるのはなぜか、執筆陣は問うている。政府権力が裁判所を抱き込んだペルー、ベネズエラ、ハンガリーなどを例に挙げ「トランプ政治の米国」という本丸に迫る。

 「(憲法や司法など)制度そのものだけでは、選挙で選ばれた独裁者を抑制することはできない」と執筆陣は指摘する。過去の米国政治は「寛容」「自制」といった規範が民主主義の「柔らかいガードレール」として機能し、二大政党の極端な二極化を抑えてきた。そのガードレールがどうにかなってしまった。トランプ政治の登場は偶然ではないという。

 だが、柔らかいガードレールが危ういのは日本も同じではないか。かつて保守政治家でも、沖縄県民の苦悩に寄り添い、日本がアジア・太平洋諸国に強いた多大な犠牲を思い、公害病患者をはじめ弱者の救済に向き合う人たちがいた。それは組織に縛られぬ個々人の規範だったのだろう。

寛容や自制こそ

 今は二大政党の二極化どころか、官邸主導の「1強政治」の様相がさらに増した。はぐらかし、隠蔽(いんぺい)、忖度(そんたく)といった言葉が、これほど新聞をにぎわした年もあるまい。規範はもちろんだが、まず誠意を見せてもらいたい。

 世界は貿易摩擦に基づく米中の緊張関係を軸に、激しいうねりが続く。やはり日本は寛容や自制を外交の基調とすべきだろう。それが国際秩序を安定させる「名誉ある地位」につながるはずだ。

(2019年1月1日朝刊掲載)

年別アーカイブ