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在韓被爆者これが証し 広島の原爆資料館にレプリカなど提供

郭名誉会長「惨禍知って」

 在外被爆者への援護を切り開いた韓国原爆被害者協会名誉会長、郭貴勲(カク・キフン)さん(94)=京畿道城南市=が、自らの被爆証明書などを広島市の原爆資料館の求めに応じてレプリカを作り提供した。4月25日に再オープンする本館で「外国人被爆者コーナー」の新設が計画されている。資料館(開館は1955年)が、海外最多の在韓被爆者の資料を常設展示するのは初めてとなる。

 「昭和二十年八月六日〇八一五広島市空襲ニ際シ原子爆弾ニ依(よ)リ受傷悪性貧血ニ罹(かか)リタルヲ証明ス」

 広島城跡近くに構えていた中国第一〇四部隊の部隊長と軍医の印もある1945年9月2日付の被爆証明書や、「召集解除(除隊)」の記録、創氏改名も強いられた「松山忠弘」名の軍隊手帳をレプリカにして、兵役時の画像も寄せた。

 郭さんは全羅北道に生まれ、官立全州師範学校5年生だった44年、朝鮮半島での日本軍徴兵制1期生として広島へ送られた。

 45年8月6日は、爆心地から約2キロとなった現中区白島北町で行進をしていた。上半身が焼けただれたが助かった。帰国後は教師となり、67年の協会創設に参画。植民地支配のもとで被爆しながら原爆医療法(57年施行)を受けられず貧苦にあえぐ同胞を救援するために渡日を重ねた。

 「被爆者はどこにいても被爆者」と訴え被爆者援護法(95年施行)に基づく健康管理手当支給を日本の司法に求め、2002年に政府の上告断念を勝ち取る。米国やブラジルなどに住む日系人被爆者への法適用と権利回復にもつながった。

 郭さんは「原爆の惨禍を体験したのは日本人だけではない。なぜ韓国・朝鮮人が被爆したのか、どうなったのかを知り考えてほしい」と、国の独立記念館に収めていた被爆資料を基にレプリカ提供を決めた。展示の際は高齢を押して広島を再訪したいとも願う。

 原爆資料館は耐震工事から本館を17年に閉め、「8月6日」を刻む資料を柱とする展示の再整備に取り組み、新たに外国人被爆者コーナーを設ける。しかし、今も2198人(大韓赤十字社調べ)を数える在韓被爆者は身一つの帰国だったために実物資料は乏しく、郭さんに協力を求めた。

 同コーナーでは、イエズス会ドイツ管区から派遣された神父や、東南アジアからの広島文理科大(現広島大)「南方留学生」の被爆も日記や写真などから伝えることにしている。(西本雅実)

(2019年1月3日朝刊掲載)

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