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社説・コラム

『潮流』 カーター氏の種

■三次支局長 中井幹夫

 小学生の頃、父親と庭で落花生を育てたことがある。春先に種をまき、およそ半年後、地中に埋まった殻付きの実を取り出した時はうれしかった。水洗いした後、ゆでてすぐ食べてみたが、まずかった。いると格段においしくなった。

 あの香ばしいピーナツが特産地の三次市甲奴町で収穫を終え、殻付きなどの実が出回るようになった。地元であった昨年秋の収穫祭では、広島市の菓子業者と組んで生地の材料にしたまんじゅうも売り出され、好評だった。クッキーやケーキの材料にする業者も増えてきたという。

 「売り先が広がり、やっと出てきた利益を、われわれ生産者も受け取ることができるようになった」

 2001年から生産を続ける近藤幸晴さん(71)は喜ぶ。地元の生産農家たちでつくる「カーターピーナッツ研究会」の会長でもある。その名前から想像できるように、ピーナツ農家でもあった米国の元大統領のジミー・カーター氏から贈られた種から産地化がスタートした。

 米国発の「ピーナツ」は必ずしもおいしいものばかりではない。航空機メーカーが旅客機を売り込むため、日本の政府高官を巻き込んだロッキード事件では、贈賄の巨額資金は関係者に「ピーナツ」と呼ばれ、1粒100万円だったという。

 友好のピーナツは、地元の寺に戦前あった釣り鐘が砲弾の材料として供出された後、戦後は米国へ渡り、ジョージア州にあるカーター氏の平和活動の拠点施設で保管されていたのが縁である。カーター氏は1990年に甲奴を訪れている。

 これを機に、互いの地元の子どもたちの交流が生まれた。四半世紀以上続き、カーター氏が望んだ相互理解という平和の種はすくすくと育つ。トランプ大統領の登場で、少々きしみ始めた日米の間を草の根でがっちりつないでいる。

(2019年1月15日朝刊掲載)

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