×

社説・コラム

天風録 『大槌町旧庁舎との惜別』

 震災から数年のうちに東北の被災地を歩くと、死者を悼む小さなしつらいをどこでも見かけた。野の花が手向けられ、水のボトルが供えられ。小さな命が失われた宮城県石巻市の大川小校舎を訪ねた夏は、大輪のヒマワリに言葉もなかった▲岩手県大槌町の旧役場庁舎の前には、裏ぶたをもがれたカメラの残骸がぽつんと残されていた。誰のものか分からない。掛け時計が止まったままの2階外壁は、津波の恐怖を示す証しである。よそ者はそれを見上げ、こうべを垂れるばかりだった▲きのう、その庁舎の取り壊しが始まった。掛け時計や職員が避難に使ったはしごは保存される▲存廃に町は二分された。解体を差し止めたい住民は町長を訴えたが、却下される。わずか3日前のことである。「あえて声を上げ、訴訟に踏み切った原告側の思いを、もっと謙虚に受け止める必要がある」と岩手日報の社説は町長側に物申す。重機のうなりに耳を覆いたくなる人も少なからずいたことだろう▲やがて庁舎は更地になるのか。町の生まれ変わりを望む人の気持ちも分かる。それでも亡き人を悼む縁(よすが)を、人は求めてやまない。広島の地から、よそ者がお伝えしたい気持ちである。

(2019年1月20日朝刊掲載)

年別アーカイブ