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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] 広島女学院大2年 岡田春海さん

共に考える仲間集めた

 被爆地の大学生の一人としてさまざまな平和活動に加わっています。核兵器はいつ使われてもおかしくない状況だと聞くと、何かしなきゃという思いに駆られます。昨年秋に広島女学院大でサーロー節子さんが講演した時は、学内で勉強会を開きました。

 カナダに住む被爆者のサーローさんは、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))と協力して核兵器禁止条約の成立に努力しました。ICANがノーベル平和賞を受賞し、授賞式でスピーチしたサーローさんはニュースで頻繁に取り上げられましたが、私の周囲では「誰?」と聞いてくる友達が多いのが実情でした。

 そんなサーローさんが母校で講演することが決まり、より知ってもらう機会が生まれました。昨年4月から企画を考え始めましたが、協力してくれる仲間が集まりません。一人で企画して意味はあるのか、自分の押し付けではないか、無関心な人を引き付けるにはどうすればいいか。三つの問いに悩み続けます。

 9月に入って先生に相談すると、「勉強会を開いたら」と勧められました。しかし、避けたい選択肢でした。内容が硬く、来る人が限られると感じたからです。それでも、日常の姿を伝えるなら親近感を持ってくれるかも、と思い直します。サーローさんをよく知る広島のジャーナリストや、来日した米国人カメラマンに話を聞きに行きました。

 勉強会は10月に2回開き、学生の参加は6人にとどまりましたが、思わぬ反応も出てうれしかったです。告知を写真共有アプリ「インスタグラム」のストーリーズ機能を使って流したせいか、「昨日のニュースに(サーローさんが)出てたね」という声が、ちらほら聞けるようになったからです。

 11月の講演会では本人に花束を渡しました。内から出るオーラは大きく、「人に影響を与える存在」という印象を受けました。諦めず、光に向かって、はって行け―。被爆直後、サーローさんが軍人に励まされたこの言葉はその後の人生につながりました。私も勇気づけられる言葉です。

 高校時代、中国新聞ジュニアライターとして被爆者の皆さんの証言を取材しました。その中に12歳の時に広島市中心部に動員され、何人もの遺体を運んだ祖父もいました。たくさんの人の死が関わる悲惨な体験は日頃の祖父からは想像できず、衝撃を受けました。祖父が生きたおかげで自分がいると実感したことが今の活動につながっています。

 将来は幼稚園の先生を目指しています。就職したら平和について学んだことが、社会に還元できるかどうか不安です。幼児に「平和教育」は難しいかもしれませんが、絵本を通して命の大切さを伝えることはできるはず。年齢に合ったやり方を考えようと思います。(文・山本祐司、写真・天畠智則)

おかだ・はるみ
 広島市中区出身。広島女学院高時代に中国新聞ジュニアライターに加わった。2017年に広島女学院大人間生活学部幼児教育心理学科へ進み、同大の沖縄研修にも参加。広島のNPO法人「ANT―Hiroshima」や平和カフェ「ハチドリ舎」などの行事に加わる。中区在住。

(2019年1月21日朝刊掲載)

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